研究課題/領域番号 |
19K00451
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分02030:英文学および英語圏文学関連
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研究機関 | 滋賀県立大学 |
研究代表者 |
山本 薫 滋賀県立大学, 人間文化学部, 准教授 (50347431)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2024-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
2,210千円 (直接経費: 1,700千円、間接経費: 510千円)
2023年度: 260千円 (直接経費: 200千円、間接経費: 60千円)
2022年度: 390千円 (直接経費: 300千円、間接経費: 90千円)
2021年度: 390千円 (直接経費: 300千円、間接経費: 90千円)
2020年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2019年度: 390千円 (直接経費: 300千円、間接経費: 90千円)
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キーワード | 絵画 / 視覚 / 具象・抽象 / 印象主義的手法 / 模倣 / 写実的語り / 素描 / 精神・思考 / 音 / 音楽 / 過去 / 抽象 / 具象 / ジョウゼフ・コンラッド / ものそのもの / 現実 / 印象主義 / 写実主義 / 歴史小説 / パウル・クレー / 可視 / 美学 / 抽象芸術 / 唯物論 |
研究開始時の研究の概要 |
コンラッドが晩年個人的な語りを離れて非個人的な語りに戻ることは、印象主義的想像力の枯渇による伝統的な写実への回帰と考えられてきたが、晩年の作品群における「歴史」は単純にリアリティを再現しているとは言えない曖昧さを持つ。そこで本研究は、この「歴史」への回帰を、「ものの見え方」へのこだわりから解放された作者による「ものそのもの」への新たな接近の試みととらえ、同じく「見せる」美学を宣言しながら、最終的には可視的な事物の写実的表現を超えようとした画家クレーに倣って、抽象された具象形象とも言うべき新たなリアリティ創造の試みとして再評価する。それにより、コンラッドの思弁的唯物論者的側面を明らかにする。
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研究実績の概要 |
コンラッドが晩年の歴史小説群において、かつての印象主義的な個人的語りを離れ、一見伝統的な非個人的語りに戻ることは、想像力の枯渇による伝統的な写実への回帰と考えられてきた。しかし、晩年の作品群における「歴史」は、単純に現実の模倣としての「リアリティ」を再現しているとは言えない曖昧さを持つ。そこで本研究は、この「歴史」への回帰を、「ものの見え方」へのこだわりから解放された作者による「ものそのもの」への新たな接近の試みととらえなおし、抽象された具象形象とも言うべき新たなリアリティ創造の試みとして再評価することを目的としているが、2022年はオンラインでの二度の国際学会において、このテーマに関して二点研究成果を発表した。2022年3月にブルガリアで開催された「異文化の間を仲介する物語」をテーマとする国際学会では,評価の分かれる後期作品『勝利』における「音楽」のメタファーと過去の記憶の関係性を論証した。同年9月には英国ジョウゼフ・コンラッド協会の大会にて、視覚的印象主義ばかりが論じられるコンラッドの物語に登場する「亡者」に注目し、コンラッドにおいて、現実が視覚的あるいは絵画的に統合されるのではなく、「思考」のなかで「素描」としてとらえられるさまを検証した。本研究は、コンラッドと同じく「見せる」美学を宣言しながら、最終的には可視的な事物の写実的表現を超えようとした画家クレーの美学を参照点としているが、クレーも絵画の技法に取り入れた音楽と、クレーの芸術において重要な「素描」という切り口で研究を進め、発表した。残された課題が、コンラッドの思弁的唯物論者的側面を明らかにする作業のみとなった。同時に、「眼で知覚されるというより、精神によって思考される」ものの姿の「見えない線」というベルグソンの「素描」についての概念(『思考と動き』)とコンラッドの晩年の具象への関心の親近性にも気づいた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2022年3月にブルガリアで開催された国際学会にて,コンラッドの後期作品で評価の分かれる『勝利』における「音楽」のメタファーと過去の記憶の関係性を取り上げ、'Music Resounding from the Past in Joseph Conrad’s Victory'と題して発表し、同年9月には英国ジョウゼフ・コンラッド協会第49回大会にて、'Drawing the blindness, or the blindness of drawing in “The End of the Tether” and Lord Jim'と題して、通常視覚的印象主義ばかりが論じられるコンラッドの物語に登場する「亡者」に注目して、コンラッドにおいて、現実が視覚的あるいは絵画的に統合されるのではなく、「思考」のなかで「素描」としてとらえられるさまを検証した。オンラインにて開催された国際学会にて2度採択課題に関連する研究成果を発表したことで、コンラッドと同じく「見せる」美学を宣言しながら、最終的には可視的な事物の写実的表現を超えようとした画家クレーの美学を参照点とする本研究の、コンラッドの思弁的唯物論者的側面を明らかにするという課題が残されていることが明らかになった。また、これら二つの研究を進めるうえ得た知見を幻戯書房から出版したコンラッドの最後の長編小説『放浪者あるいは海賊ペロル』の翻訳と解題の執筆に活かすことができた。クレーの素描の技法を参照点としてコンラッド晩年の物語技法を考察する章を含めてコンラッドと芸術について書籍化に向け加筆修正を進めている。これまでの国際学会での研究発表や論文・著書発表をきっかけに海外ジャーナルの審査員や、本採択課題と共通のテーマの論集で、英国で出版された友人の共著の書評の依頼を受けた。
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今後の研究の推進方策 |
コンラッドとクレーの芸術論を研究するうちに、絵画だけでなく、音楽その他の芸術にも考えを広げ、深めることができたが、そこからさらに、政治小説『西欧の眼の下に』で物語の設定として用いられている「翻訳」を、「小さな芸術」としての「翻訳」という観点から考察する新たな視点を得ることができた。つまり、これまで不可視の存在とされてきた「翻訳者」を物語の語り手として見直し、翻訳された物語を、作者との直接の対話と考えずに、創造的な「翻訳者」に介在された芸術として見直す、という視点である。
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