本年度は人員3名を投入して、西日本各県のデータベースカードの作成とコンピュータソフトへのデータ入力を完了させた。また、資料収集活動として、兵庫、京都、九州などを中心に見学旅行を行ったり、岡山、東京において開催された研究会に参加して、未報告資料、新発見資料の網羅に努めた。各県のデータについての補正と、データ検索様式の作成も行った。 形象埴輪の出土数は、大阪が最も多く、奈良、京都の順に続く。形象埴輪の出現については、盾形埴輪、甲冑形埴輪、蓋形埴輪、囲形埴輪は前期後半に奈良東南部地域で出現することが確認できる。靭形埴輪は奈良南西部地域及び京都南部地域で、家形埴輪は京都南部地域で、現在のところ前期後半の例があるが、奈良東南部地域で出現している可能性が高い。同時にこれらの形象埴輪の内、家形埴輪、蓋形埴輪など部器種は、京都北部、大阪、瀬戸内地域、福岡に波及する。中期前半には、大阪で鳥形埴輪、舟形埴輪が出現する。中期後半に窯焼成技術の導入とともに、大阪で馬形埴輪、人物埴輪が出現し、形象埴輪のセットが各地に波及する。後期前半には、大阪で大刀形埴輪、「石見型」埴輪など多様な器種が出現して加わり、各地でも同様な様相となる。後期後半には、埴輪がほとんど消滅する。 古墳と形象埴輪の関係は、前期では大規模古墳とその周辺でしか形象埴輪が見られず、中期以降では、墳丘の規模が大きくなるほど形象埴輪の種類が多くなる傾向にあり、形象埴輪の種類の多少が古墳の階層性を表現する。また、大阪の長原古墳群、奈良の四条古墳群のように、小古墳の群集墳でも、形象埴輪の種類が他の古墳群に比べて突出して多いものがあり、形象埴輪には古墳時代社会一般の階層性の下にある特定の階級性を表現するような意味も存在することが分かる。 研究結果の文章化については、現在作成中である。
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