研究課題
基盤研究(C)
自己犠牲と自己疎外と愛という三つの行為類型は、個人に現実の自己放棄を強いつつ理念上の自己実現を約束する、という共通の逆説的構造を備えている。本研究は、この逆説的構造を分析し、理解することを課題とした。平成14年度は、個人と社会の関係の分析の一例として、草創期の人類学からルース・ベネディクトの『文化の型』を取り上げて、分析した。『文化の型』の根底には、暗黙の前提として、個人とは自律的主体であり社会はその自律を支援し擁護することが望ましい、という西洋近代の社会哲学が存在する。人類学に立脚しても、人間の自己認識と自己決定の図式が描き直されない限り、自己放棄が自己実現に結びつく社会生活の逆説的構造を捉えることは難しいことが分かる。自律という西洋近代の社会哲学の中心ドグマの中に、自己放棄と自己実現の通底する逆説的構造が、すでに圧縮されて畳み込まれているからである。平成15年度は、人間の自己認識の図式を再考する試みとして、現代の発達心理学の成果を検討した。発達心理学の近年の重要な成果は、4歳未満の幼児の大多数が、自分や他人が誤った事実認識(誤信念)を心に抱いたということを把握できない、という事実の発見である。自他への誤信念の帰属能力は、4〜5歳でほぼ同時に発達する。言い換えれば、自己認識と他者認識は重要な点で同一の認知システムの発達の所産なのであり、自己の内的直知と自律とを全認識の根拠とするデカルト以来の近代主義のドグマは、事実に根ざしてはいない。自己は種々の認知システムの輻輳する多層的構造体であって、この多層性から自己放棄と自己実現の通底する逆説が帰結すると予測できる。平成16年度は、マーク・カール・オーヴァヴォルドの自己犠牲の分析を取り上げて、自己の多層性を手がかりとして、自己犠牲と自己疎外と愛の同型性を考察した。オーヴァヴォルドは自己の多層性を肯定し、アガペー的愛や社会的大義への貢献欲求は、自己利益には関わらないが自己に帰属する合理的欲求であるとした。これによって、例えば、アウシュヴィツで他の囚人の身代わりとして処刑されたコルベ神父の行為は、不合理でも自己利益(名誉)を狙うのでもない、純粋な愛による自己犠牲として解釈可能になる。だが、ここでは、自己犠牲的な愛が個体から生命を遠ざけている(alienate)。すなわち、自己の多層性を通じて、自己放棄が自己実現に結びつく逆説は、自己犠牲と自己疎外(self-alienation)と愛の同型性の事実として浮かび上がるのである。
すべて 2005 2004 2003
すべて 雑誌論文 (8件)
名古屋大学文学部研究論集 153
ページ: 23-58
Journal of the School of Letters, Nagoya University 1
ページ: 19-29
Journal of the Faculty of Letters, Nagoya University Vol.153
Journal of the School of Letters, Nagoya University Vol.1
名古屋大学文学部研究論集 150
ページ: 41-91
Journal of the Faculty of Letters, Nagoya University Vol.150
名古屋大学文学部研究論集 147
ページ: 25-59
Journal of the Faculty of Letters, Nagoya University Vol.147