本年度の研究により、祝典劇に関するドイツ文学の流れが精神史とも関連して以下の如く推移してきたことが判明した。 啓蒙主義が到来すると、ドイツ国民固有の芸術文化の保護と、国民全体を観客対象とする目的で、ハンブルクやウィーンやマンハイムなどに「国民劇場」が建設され、そこでの上演演目として、国民を主人公とする「国民劇」が待望されるようになる。こうした気運を先取りして執筆されたローエンシュタインの「アルミニウス」(1689)は、神聖ローマ帝国への愛国精神、ドイツ人の選民意識を明確に謳っており、宮廷祝典劇の体裁はとるものの、後の国民祝典劇の原型であるといっても過言ではない。ローマ人からゲルマン民族を解放したヘルマン(アルミニウス)は、国民劇場の出現と共に、国民祝典劇の格好のモティーフとなったが、その嚆矢と目されるのが、J. E. シュレーゲルの『ヘルマン』(1742)である。そして1805年に執筆されたクライストの『ヘルマンの戦い』は、祝典劇の宿命的なジレンマ:国家礼賛と芸術性追求:を解決した類まれな作品であるといえよう。しかしまた、そのために主人公ヘルマンの性格を、従来のヘルマン劇とは比較できぬほどに複雑奇怪な、或いは時代を先取りした性格に形成したため、当時の文壇から拒否反応を受けるという副作用も『ヘルマンの戦い』は生み出した。『ヘルマンの戦い』は、クライスト作品ではとりたてて高い評価を受ける戯曲ではないが、祝典劇の観点からみると、従ってドイツ祝典劇史上極めて特異且つ貴重な作品であり、その伝統を引き継ぐ作品はついに現れなかった。 また、同時に現代ドイツ文学上の祝典劇であるハウプトマン『ドイツ韻律による祝典劇』を同作家の『オデュッセウスの弓』と共に分析し、これらの作品の背景に横たわるギリシア・ローマ文学を参考に、ハウプトマン特有の祝典劇解釈、ひいては彼の劇作手法を考察した。
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