熊野観心十界図のいわば親本となった16世紀後半の朝鮮甘露幀が、朝鮮(韓国)仏教のなかでどのような位置を占めていたのか、その検討のために、2度の諸寺院調査を行った。特にソウル東国大学校の鄭于澤教授の協力を行て、ソウル周辺の複数の寺院を調査できたのは、仏画調査の枠を超えて有意義なものであった。また17世紀半ばの甘露幀を伝える青龍寺、1700年制作の甘露幀を伝える南長寺の調査も併行して行った。 その調査の過程で、甘露幀という特異な絵画の出現を、16世紀の朝鮮社会の問題として捉え返さなければならないこと、その直接の前提に、中国宋~明代の水陸会とその儀礼の場に掲げられた水陸画の存在があること、この二つの課題が浮上した。水陸画は現今の日本美術史学界で一つの焦点となっている絵画である。 特に後者については、宋代の水陸会の儀軌が15世紀に朝鮮で板刻されて残存しているなど、韓国に豊富な史料が残っている。日本国内から取得できるもの以外に、ソウル大学奎章閣と東国大学校図書館を訪問し、原本史料を精査した。 15世紀代に限れば、朝鮮社会と日本社会は、霊魂薦度儀礼である水陸会や大施餓鬼に関して、同様の歴史過程を辿っており、「関係史」として検討することが可能である。これに明代の中国社会を含めて、東北アジアレベルで考察進めば、熊野観心十界図・甘露幀・水陸画の三者の「関係史」もまた見えてくるはずである。 日本側の水陸会関連史料を探すなかで、京都市下京区の龍岸寺(浄土宗)で学界に未紹介の甘露幀(無画記、16世紀末)1幅を発見した。16世紀にさかのぼる作例は5点しか知られておらず、1点の増加にとどまらない意義をもつ。また、滋賀県近江八幡市の長命寺(天台宗)で、新出の熊野観心十界図の調査も行った。
|