2010年9月に韓国月精寺(江原道平昌郡珍富面)を訪問し、その聖宝博物館で月精寺本の甘露図を熟覧する機会を得、地域の基幹的な寺院における仏教儀礼と仏画の関係について、多くの知見を得ることができた。また日本龍岸寺(京都市)において研究代表者が発見した16世紀の甘露図についても、繰り返し調査を行い、その作例が韓国国立中央博物館に寄贈される過程にも関わった。 特に龍岸寺本の処遇を検討する際に、韓国国立慶州博物館や韓国ソウル東国大学校の研究者など、高麗・朝鮮仏画を専門とする韓国側の研究者と、幾度かの意見交換の場を確保することができた。その際、龍岸寺本の制作・伝来に関する多くの知見を得ることができた。 また近年、韓国の甘露図研究は多彩な成果を生み出しつつある。その成果としての韓国語論文を邦訳する作業を、前年度に続き継続して行った。その際、16世紀中葉の国家的な仏教・寺院政策、宮廷仏画と民間仏画、儀礼を支える社会集団等のテーマについて、特に留意しつつ翻訳作業を行った。また、それらと日本社会、美術との突き合わせも、あわせて行った。 これらの作業の成果は最終的には著書にまとめる予定で、すでに出版社も決定しているが、その作業の一部を、「七如来の顕現-寛正飢饉と施食の風景」と題して活字化した。これは室町時代の寛正年間に京畿内を襲った飢饉の史料から、国家的な施食の記録を抜き出し、検討を加えたものであり、15・16世紀の東アジア社会が大規模な死霊薦度を必要とし、その本尊として共通して「七如来」を選択したことを論じたものである。
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