日本の十界図・六道絵・地獄絵の世界で、研究史上特異な位置を占める熊野観心十界図は、16・17世紀の境にその原図が制作された。制作の直接の機縁となったのは、朝鮮社会で制作された甘露図が、豊臣秀吉の東アジア再編計画を通して日本社会に流入したことにある。甘露図は水陸会の儀礼の過程とその実修される場を、救済対象である死者の多様な死に様とともに描いた絵図であり、16世紀半ばに成立したものと思われる。16世紀の東アジアが孤魂薦度の儀礼を共通して必要とした理由(戦争・党争・疾疫・飢饉など)と、その儀礼の内容の地域的な偏差が明らかとなった。
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