2014年は現地調査で甘粛省蘭州市の劉家峡ダムを訪れ、黄河が黄色く染まる地点を確認し、黄河に含まれる大量の黄土の由来と流入する状況を確認した。 2015年・2016年の現地調査では黄河下流平原を訪れ、実地を自転車で走破することで現在の地表面には起伏が存在しないこと、また該当地域の河川や運河がすべて掘込河道となっていることを確認した。さらに現在の黄河河口付近には油井が点在し、「勝利油田」と呼ばれることを確認した。 上記現地調査の結果を踏まえてRSデータによる地形解析を実施したところ、黄河下流平原でも前漢黄河の東側から現黄河の西側にあたる地域、現在の山東省聊城市から東営市にかけての範囲では目立った起伏が存在しない平坦な地形であること、河川の流れる方向が臨邑県付近で東方向へと変化し、そこから少なくとも3本以上の併走する河道痕跡が確認できた。 『水経注』には、当時の黄河は「ルイ水」「済水」と呼ばれる河川と併走していたとあり、そのまま渤海へと流入したとある。この状況は河口に三角州を形成している現在の黄河とも、前漢黄河とも異なるが、RSデータの解析データとは一致する。また『水経注』には当時の黄河には多くの分流・支流が存在したとあるが、こちらも微高地に囲まれた前漢黄河や現在の黄河とは異なる。 これらの点から、『水経注』に記される黄河は現在とは異なり、自然堤防を形成しない「掘込河道」であり、併走する幾筋かの溝状地形に流れ込んでいたことが判明した。そしてこの溝状地形を形成したのが「背斜構造」である。 勝利油田の地域は「東営凹陥」と呼ばれる背斜構造であり、さらに広域的には臨邑県で南へと屈曲して河南省濮陽市まで連なる「済陽拗陥」と称される構造地形であった。この形状は『水経注』に記される黄河河道と一致することから、当時の黄河および併走する「ルイ水」「済水」がこれらの構造地形に由来することを特定した。
|