本研究の当初の計画は、戦後台湾の民間演劇の変遷と機能とを析出することであった。しかし調査中に接触した台湾の研究者および行政担当者等知識人の民間演劇への関わり方、そして小西園、華洲園など布袋戯劇団の上演時の状況から、民間演劇をめぐるある二重構造を見出さざるをえなかった。それは、民間演劇を台湾独自の民俗文化として強力に価値付けようとする知識人達の言動に対し、一方でそうした知識人の言動に合わせ、より民俗的と考えられる上演の方法を採用しながら、また一方ではそれとは無関係に従来からの民間での需要に応え続けるという布袋戯劇団の上演の価値の二重性である。ここには知識人が自文化の純粋状態として理想視する民間、民俗と、そうではないありのままの民間、民俗との乖離、そしてこの二重性をそのまま反映した民間演劇の上演の様相が見出せる。台湾では1960年代から文化復興運動が繰り広げられ、それは台湾の政治状況、台湾ナショナリズムとも不可分な運動であったが、その潮流に乗った知識人達による価値観の操作が、民間演劇の劇団に上記の二重性を帯びさせることになったと考えられる。こうした状況を目の当たりにし、台湾のナショナリズムと不可分な形で展開される知識人の言説と、それに取り囲まれた民間演劇との相互作用の様相を、最終的なテーマとすべきであるとの認識に至ったわけである。 今後は「演劇とナショナリズム」をテーマに、この事例を引き続き調査しつつ、筆者が以前に研究対象とした清朝末期の上海における知識人と演劇との関わりもひとくくりに視野に含み込み、近現代の中国社会における両者の関わりを分析してゆく計画である。また、以上の個人研究と並行して、1996年度より筆者を含めた複数の中国演劇研究者により開始される「中国近代都市芸能共同研究プロジェクト」の一端として今回の研究成果を位置付け、中国社会の中での演劇の姿をより多角的に把捉する方向へと発展させるつもりである。
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