研究概要 |
抗日戦争期の山西省根拠地における中国共産党(中共)の新暦・農暦の記念日に関する政策,民俗利用政策の検討を行い、またその背景として、日本軍・傀儡政権の同様の政策の内実を検討した。その結果、以下のことが明らかになった。 伝統文化、伝統的道徳によって中共を攻撃する。日本軍・傀儡政権の民俗利用の試みは、中共に一定の危機感をもたらした。中共が本来的には消滅させるべきものと考えていた農暦に関わる民俗を日本軍・傀儡政権は積極的に利用し、春節その他の節日における娯楽活動の組織化と政治宣伝、廟会の復活による集市活性化の試みとそこでの政治宣伝などは、占領開始後、早い時期に着手され、また、これらの民俗を破壊するものとして、中共を批判する宣伝がなされた。 このことと前線の過酷な闘争の現実は、民衆との強固な結合の必要性を中共に認識させ、太岳区・太行区政府は、実践的には陜甘寧辺区に先行して、1939年には、廟会・集市利用による商取引の活性化,民俗様式を利用した宣伝など本格的な民俗利用政策に着手している。日本側の節日・廟会での施薬,廟会での生産展覧会、廟内での文化教育館設置という手法と、中共の労働英雄大会や廟会工作,日本の敬老会開催と延安の春節における祝寿運動などは、その形態が類似している上、抗日戦争期においては、いずれの項目についても日本側の着手の方が早く、両者の相互の影響を示唆する。この成果の一部は、「華北傀儡政権の記念日活動と民俗利用-山西省を中心に-」(曽田三郎編『近代中国と日本-提携と敵対の半世紀-』,御茶の水書房)に発表予定である。
|