Project/Area Number |
01510139
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Research Category |
Grant-in-Aid for General Scientific Research (C)
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
Educaion
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Research Institution | Saitama University |
Principal Investigator |
清水 寛 埼玉大学, 教育学部, 教授 (70008712)
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Project Period (FY) |
1989
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 1989)
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Budget Amount *help |
¥1,200,000 (Direct Cost: ¥1,200,000)
Fiscal Year 1989: ¥1,200,000 (Direct Cost: ¥1,200,000)
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Keywords | 第2次世界大戦 / 太平洋戦争 / 障害児学校 / 戦争被害 / 空襲 / 勤労奉仕 / 軍事教練 / 疎開 |
Research Abstract |
第2次大戦中に設置されていた各都道府県の障害児学校(盲・聾学校が大多数)に対して、全11項目からなる太平洋戦争による被害の実態に関するアンケ-ト調査を実施した。132校中105校から回答があった(回答率79.5%)。その結果、約40%近くの学校が空襲による被害(内、全焼・全壊が約67%に及ぶ)を受けたことが判明した。全国の国民学校の被災率は4.4%であり、それに比して極めて高率である。それは、障害児学校の多くが、県内の中心都市に設置されていたためと推定される。空襲による被災率が高い割には、人命の死傷率が低かったのは、避難訓練がかなり徹底して為されていたこと、および教職員の献身的な介助・誘導があったためと考えられる。勤労奉仕・学徒動員が行われた学校は約61%、その内容は陸軍病院や部隊へのマッサ-ジ等である。軍事教練やそれに準じた指導を強化した学校も多い。空襲・疎開・食糧不足等のため授業を中止した学校は約48%。疎開できた学校は約28%、どの学校も、食糧・物資の不足、教材・教具の不足(例えば盲学校では点字用紙が不足し古新聞等を利用したが破損しやすかった。また真冬でも暖房に事欠き指先が凍えて点字を触読するのが困難であったりした)、ノミやシラミの発生等に悩まされた。応召して戦死した教員や、「海軍技療手」という名称で、軍属として戦場におもむき戦死した盲学校卒業生もいる。どの学校も戦後の教育復興への道程は困難を極めた。とくに、財政基盤が脆弱である私立学校および、日本で唯一の地上戦闘が展開され県民4人に1人が戦死するという悲惨な戦争の渦に巻き込まれ、終戦後も長い間、米軍の占領下におかれた沖縄の障害児学校の場合はそうであった。以上、前記のアンケ-ト調査の結果、および各障害児学校に依頼して収集した年誌・紀要類の記載、当時の教職員・生徒の聴取りにもとづいて、調査・研究の成果の概要を記した。
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