Project/Area Number |
01J03353
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Research Category |
Grant-in-Aid for JSPS Fellows
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Allocation Type | Single-year Grants |
Section | 国内 |
Research Field |
Economic history
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
河崎 信樹 京都大学, 大学院・経済学研究科, 特別研究員(PD)
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Project Period (FY) |
2001 – 2002
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 2002)
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Budget Amount *help |
¥1,200,000 (Direct Cost: ¥1,200,000)
Fiscal Year 2002: ¥600,000 (Direct Cost: ¥600,000)
Fiscal Year 2001: ¥600,000 (Direct Cost: ¥600,000)
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Keywords | アメリカ / ドイツ占領政策 / マーシャルプラン / アレン・ダレス / 外交問題評議会 / ジェームズ・ウォーバーグ / ドイツ復興 / モーゲンソープラン |
Research Abstract |
本年は、外交問題評議会とJ・P・ウォーバーグ(James P.Warburg)という、アメリカ政府の遂行したドイツ占領政策をめぐって活発に活動した民間の勢力を分析した。この両者は、アメリカのドイツ政策として、ドイツの工業力を破壊し、農業国化することを目的とした「モーゲンソープラン」が採用されていることを懸念し、ドイツ経済の復興を中心とする方向に、アメリカのドイツ政策を転換させるための活動を行った。 外交問題評議会は、アメリカの多国籍企業・銀行、弁護士を中心とする団体である。外交問題評議会は、1946年10月にドイツ問題研究会を当時の理事長であったA・ダレス(Allen W.Dulles)を議長として設立し、そこを拠点として、アメリカのドイツ政策についての政策提言を行った。外交問題評議会は、ドイツ経済の中心地であるルール地域を国際管理下に置くことを通じて、ドイツ経済の復興を実現するとともに、その経済力をコントロールすることを通じて、安全保障を確保するという政策をアメリカ国務省に対して提起し、マーシャルプランへといたる道筋を作り出した。これに対して、アメリカの銀行家であったウォーバーグは、アメリカの第二次世界大戦への参戦運動に取り組み、その際にできた人的結合を基礎としてアメリカのドイツ政策に対する関与を行った。ウォーバーグは、ドイツ経済の復興を、ソ連と協調して行うことを主張するとともに、各種の新聞やラジオなどのメディアを通じて、ドイツ復興の重要性をアメリカ国民に対して訴える活動を行った。しかし、彼の主張の内、ドイツ復興は受け入れられたが、ソ連との協調は受け入れられなかった。そのため彼は、マーシャルプラン以降のアメリカのドイツ政策を批判し続けることになる。 本年は以上の点を明らかにした。
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