農構開始期における土器組成の考古学的研究ー壷形土器の出現とその背影ー
Project/Area Number |
02610192
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Research Category |
Grant-in-Aid for General Scientific Research (C)
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
考古学(含先史学)
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Research Institution | National Museum of Japanese History |
Principal Investigator |
藤尾 慎一郎 国立歴史民俗博物館, 考古研究部, 助手 (30190010)
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Project Period (FY) |
1990
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 1990)
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Budget Amount *help |
¥700,000 (Direct Cost: ¥700,000)
Fiscal Year 1990: ¥700,000 (Direct Cost: ¥700,000)
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Keywords | 壷 / 突帯文土器 / 亀ヶ岡式土器 / 遠賀川系土器 / 無文土器 |
Research Abstract |
今年度は壷形土器が出現する水稲農耕開始期の西日本の縄文後・晩期の東北地方を中心に、遺跡情報の収集と壷を中心とする土器組成の集成を行った。その結果、日本において壷は時期と地域を異にして大きく三つの契機により出現することがわかった。最も古い例は鹿児島県を中心とする壷形土器である。これは最近の調査で明らかになってきたもので、本州で押型文土器が使用されていた時期の南九州に深鉢100に対して1の割合で壷をもつ様式の存在が確認された。比率は低いが2〜3型形にわたって継続することなどから、土器様式の中で安定した位置を占めていたと考えられる。壷の用途については、この時期になるって急増する石皿や磨石などの粉食加工具と関連させて植物質食糧の有効利用に伴う貯蔵用としての機能が想定されている。なおこの独自の文化はアカホヤ火砕流によって滅亡し後の時代に引き継がれない。本州の縄文時代には前期の諸磯式や後期の加曽利B式のように壷をもつ様式も存在するが、様式構造の中での位置づけは不安定である。縄文土器の中で器種として安定するのは後期中頃以降,特に大洞式からである。この壷は器形の種類が豊富で法量的に中形と小形の壷に分かれており定型化している。文様的には無文、研磨のみ、有文の三つに分かれていることからマツリの際の複雑な機能分担を推定できるが、詳細は不明である。最後に紀元前5〜4世紀に朝鮮無文土器文化の影響をうけて、水稲農耕に伴う種籾の貯蔵を目的とした大形壷を含む壷のセットが北部九州に登場した。その後,稲作の広がりと共に日本全体へ伝播するが,その際に各地で在地の土器が変容した壷も成立する。そして弥生土器を構成する主要な器種として多様な展開を遂げるのである。
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Report
(1 results)
Research Products
(2 results)