Project/Area Number |
02610193
|
Research Category |
Grant-in-Aid for General Scientific Research (C)
|
Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
考古学(含先史学)
|
Research Institution | Kyoto National Museum |
Principal Investigator |
森 郁夫 京都国立博物館, 学芸課, 考古室長 (50000477)
|
Project Period (FY) |
1990
|
Project Status |
Completed (Fiscal Year 1990)
|
Budget Amount *help |
¥1,400,000 (Direct Cost: ¥1,400,000)
Fiscal Year 1990: ¥1,400,000 (Direct Cost: ¥1,400,000)
|
Keywords | 古代寺院 / 伽藍配置 / 造営技術 / 古新羅 / 天武・持統朝 |
Research Abstract |
わが国には百済から仏教が伝えられた。そして半世紀を経て寺造りの技術者も百済から渡来した。このことは正史に記されていることであるが、古代に造営された初期寺院の中には、百済以外の要素をもつものが少なからず認められる。たとえば、わが国最古の寺院である飛鳥寺の伽藍配置は高句麗金剛寺(清岩里廃寺)に連なるものである。また、飛鳥寺の直後に造営されたと考えられている豊浦寺の所用軒丸瓦は、百済系のものと全く異なった文様構成をもち、高句麗にその系譜を求めることができると考えられている。このような面からすれば、百済・高句麗以外の外来要素、すなわち当時わが国と交渉のあった古新羅(三国時代新羅)の要素もまた古代寺院の遺構や遺物に見受けられる可能性が高いと考えざるを得ない。そうした観点から、古新羅の軒丸瓦の文様構成が百済と高句麗の両者の影響を受けたものであること、そうした文様構成をもつものがわが国7世紀代の寺院所用瓦にも見受けられ、古新羅の要素をそなえた寺院が建立されたことを明らかにした(別掲論文2)。また古代寺院の伽藍配置が変化していく要因については、当時における仏教観の変化によるものとの結論を導き出すことができた。その仏教観の変化は内外の政治情勢が大きく関わっていたものと考えられる。たとえば回廊内の金堂前面に2塔を配置する形態は新羅における鎮護国家の思想を受けて成立したものと考えられる。新羅では文武王代に鎮護国家思想が極度に高まり、感思寺が造営された。わが国ではその影響を受けて持統朝に薬師寺が造営された。このような内容を含めて、その成果の一部を『学叢』13号に掲載する(別掲論文3)。寺院造営の際には、朝鮮半島や中国大陸で造営技術を身につけた僧侶たちが活躍したことが明らかである(別掲論文1)。
|