Research Project
Grant-in-Aid for General Scientific Research (B)
仏事がおこなわれた建築の内部には、どのような空間が造り上げられており、それが仏堂と住宅ではどのように異なるのか、あるいは同じなのか、明らかにすることが本研究の大きな目的である。本年の研究では、その考察として、平安時代初頭の仏教建築の内部空間に、どのように人が入るようになるのか検討した。元来仏教建築、特に本尊を安置する建築(金堂など)では、建築の中央に仏像を安置し、内部は仏の専有空間であった。これは人が入ることが出来るか、否か、という古典的な議論に拘らず、内部空間の特質として認めることができよう。すなわち、建築の内部には実体としての仏像が存在し、それが堂内を支配していたのである。平安時代初頭には、空海・最澄によって密教が導入された。同時に灌頂・修法といったあたらしい行事形式が中国からもたらされた。両界曼茶羅などの絵画を本尊とする新しい形式であって、専用の建築(灌頂堂・真言堂)が幾つか設けられた。その中で、毎年の始めに勤修される修法の専用道場として宮中真言院が創建されたが、それは五間四面の平面を持ち、内部の身舎が阿闍梨だけが入る修法場、庇に伴僧座、護摩壇が置かれた。本来ならば仏の専用の場にこれだけの僧侶が入ったのである。その中心は即身成仏の場であり、仏の場であるが、注目すべきはその周囲の庇に伴僧座が設けられたことである。以後、正堂・礼堂という二つの部分で構成される仏堂の場合でも、その境の正堂側側「内陣床」が設けられた。これは密教が日本国内にもたらされて、新しい空間分節の手法が開拓されたためであって、以後の建築の内部空間に大きな影響をもたらしたと考らられるのである。
All Other
All Publications (1 results)