Budget Amount *help |
¥2,700,000 (Direct Cost: ¥2,700,000)
Fiscal Year 1992: ¥2,700,000 (Direct Cost: ¥2,700,000)
|
Research Abstract |
雲仙普賢岳では,1990年11月17日に水蒸気爆発を開始し,1991年5月20日に溶岩ドームが出現した.それ以来,1993年3月現在までほぼ連続的に溶岩供給が続いている。この間山頂には10個の溶岩ドームが形成される一方,成長する溶岩ドームの部分的崩落に伴って火砕流が頻発した.本研究では,噴火の経過を記録するとともに,溶岩ドーム成長のメカニズムと火砕流を引き起こす崩落現象のメカニズムについて検討をおこなってきた. 1.溶岩は当初地獄跡火口から出現したが,溢れた溶岩が火口の東側斜面にこぼれて火砕流を発生した.その後,成長に伴って不安定に成長した溶岩ドームは約2週間後に火口壁を巻き込んで,地滑りのように大きく崩壊した.この時発生した火砕流が43名を巻き添えにした.普賢岳の噴火で発生した大きな火砕流はすべてがこのような地滑り的な大きな崩壊によるものである. 2.溶岩ドームは東側斜面の崩落のために,抵抗のより少ない(距離の短い)東側斜面を選んで成長した.しかし,東側斜面は安息角に近い急勾配であるため,溶岩は流れずに崩落を繰り返した.結果的に溶岩は自分の崩落物で埋立た流路をゆっくり前進した.ある長さまで達した溶岩ドームは先端の冷却のために押されなくなり,溶岩の別の出口を求めた.この結果,新たな溶岩ドームが形成された. 3.溶岩供給は全体的に見ると,溶岩ドームの誕生直後に始めに大きなピークがあり,その後,時間とともに順次減少するという様式をとる.但し,その中にはサブユニットがある.また,さらに細かく見ると,各溶岩ドームの出る直前に供給率が減少し,出現直後に供給率が跳ね上がるという特徴がある.
|