1.研究によって得られた新たな知見等の成果 (1)明治35年に文部省に設置せられた「普通教育に於ける図画取調委員会」の報告書の影響が九州地方の教育現場にもかなり浸透しており、各地で具体的な図画教育課程の作成が試みられていたことが判明した。この時点において現場では、臨画に対する批判がすでに大きなものとなっており、従来言われてきた大正期自由画運動より以前、即ちこの時期から「写生画」の流行が全国的な規模で起こっていたことが判明した。 (2)同35年に来日した英国の教育者ヒユースによって行われた展覧会並びに講演によって紹介された「自由画」がかなり広く、しかも早く全国の教育現場に浸透している事から、「写生画」を主として「自由画」の実践が試みられたと思われ、その「写生画」の指導法について九州各地の教育現場においても様々な実践がなされ、その功罪について広く論議されていたことが各地の教育会雑誌の調査によって確認された。 (3)山本鼎による自由画教育運動の上の教師による図画教育刷新の動きとさらに当時開発されるクレヨンの爆発的人気とに触発された運動であったと考えられ、「自由画」そのもののカテゴリーが当時かなり曖昧であったこともあり、現場では逆にこのようなセンセーショナルな運動に対してかなり批判的な教師の動きがあったことが判明した。 2.今後の研究の展開に関する計画 国策として児童に正確な作図・模写等の基本技術を修得させようとする動きと、「表現」を重視する純粋な美的教育との緊張関係が美術教育史のながれの中でどの様に以後展開して行くのかが今後の課題である。
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