Project/Area Number |
05610307
|
Research Category |
Grant-in-Aid for General Scientific Research (C)
|
Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
Asian history
|
Research Institution | Tokai University |
Principal Investigator |
藤家 禮之助 東海大学, 文学部, 教授 (60055738)
|
Project Period (FY) |
1993
|
Project Status |
Completed (Fiscal Year 1993)
|
Budget Amount *help |
¥1,000,000 (Direct Cost: ¥1,000,000)
Fiscal Year 1993: ¥1,000,000 (Direct Cost: ¥1,000,000)
|
Keywords | 南史 / 建ぎょう / 建康 / 建業 / 李延寿 / 資治通鑑 |
Research Abstract |
三国時代、孫呉王朝の都であった建業は、太康元年(280)、西晋に併合されたのち、名称をもと(漢代)の秣陵に戻し、さらにその2年度(282)、建ぎょうと改めたが、第4代の愍帝(司馬ぎょう)の諱を避けるために、また改称して建康とし、この称は南朝を通して改められなかったとされている。しかし、『南史』及び『宋書』『南斉書』『梁書』『陳書』の南朝関係正史,さらに『建康実録』『資治通鑑』あるいは『太平御覧』等の類書等々から建康を示す呼称を摘出してみると,『南史』には、建康以外に(建業例は少いが)建ぎょうの称がかなり見られるのに対し、『宋書』『南斉書』『梁書』『陳書』には「建業」例は散見するも「建ぎょう」例はほとんど見られない。これは『南史』の撰者である李延寿が恣意的に建ぎょうと記したのではなく、彼が採った原史料の1つにそう記されていたためと考えるべきであろう。それが何か今なお断定し難いが、終始一貫「建康」と記している『資治通鑑』に唯一か所-北朝関係の記事であるが-「建康」とあるべきところを「建ぎょう」と称している例のあることは、示唆を与えてくれるとされよう。
|
Report
(1 results)
Research Products
(1 results)