Project/Area Number |
05710202
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Research Category |
Grant-in-Aid for Encouragement of Young Scientists (A)
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
Japanese history
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Research Institution | Yamagata University |
Principal Investigator |
北村 優季 山形大学, 人文学部, 助教授 (20177869)
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Project Period (FY) |
1993
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 1993)
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Budget Amount *help |
¥800,000 (Direct Cost: ¥800,000)
Fiscal Year 1993: ¥800,000 (Direct Cost: ¥800,000)
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Keywords | 都城 / 倭京 / 朝鮮三国 / 新羅 / 百済 / 高句麗 / 慶州 |
Research Abstract |
日本古代の都城の成立を考えるにあたっては、これまで中国の影響が重視されてきた。たしかにそのような側面は否定できないが、しかし日中の都城には基本的な原理において大きな相違があり、すべてを中国文化の影響に帰することは困難である。一方日本では律令制以前の7世紀後半、すなち天武天皇の時代に「倭京」が設定されていたことが知られ、唐との国交が中断していた時期にさえ、すでにその萌芽がみられるのである。 古代国家の形成期にあたるこの時期、日本の政治制度や文化は中国ではなく、むしろ朝鮮半島の影響を受けたことがよく知られているが、このような観点から朝鮮三国の都城を概観すると以下のようになる。 (1)高句麗では4世紀半ばに王都の整備が進められるが、5世紀以降に造営された平嬢城・長安城は広大な外城を備え、それは当時支配層を構成した貴人の組織である「五部」の制と対応していた。 (2)百済でも王都の五部と地方を統治する五方からなる、五方五部制が設けられ、6世紀前半は泗〓城が成立した時点には「五部」を編成する場となったとみられる。 (3)新羅の王都慶州では、日本の都城に類似した「条坊」の遺址がみられ、坊・里が存在したことが早くから知られているほか、いわゆる王京六部の設置、あるいは京位と外位の対照的なあり方からみて、京の存在が支配層の編成と密接に関連していたと推測される。 さて日本の都城は、王権を構成した畿内豪族の拠点たることを大きな特徴としていたが、平面プラン等の問題はさておくとしても、朝鮮半島の都城と基本的原理を共有することが判明した。日本の都城形成に際しては、こうした朝鮮三国の都城、とりわけ新羅のそれが大きな影響を与えたことが考慮される必要がある。
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