Project/Area Number |
05780127
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Research Category |
Grant-in-Aid for Encouragement of Young Scientists (A)
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
Human geography
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Research Institution | Tokyo Gakugei University |
Principal Investigator |
椿 真智子 東京学芸大学, 教育学部, 助手 (80236934)
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Project Period (FY) |
1993 – 1994
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 1994)
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Budget Amount *help |
¥900,000 (Direct Cost: ¥900,000)
Fiscal Year 1993: ¥900,000 (Direct Cost: ¥900,000)
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Keywords | 開拓集落 / 社会領域 / 宗教空間 / 寺社組織 |
Research Abstract |
本研究は、開拓地における寺社の成立過程と地域社会との関わりについて検討し、旧村部との関係をも含め、地域社会形成のプロセスを明らかにすることを目的とした。 明治政府の神道国教化政策により、寺社は新たな宗教制度に組み込まれ、開拓地における鎮守社創建にも国家の宗教政策が直接投影されたと考えられる。そこで栃木県那須野ヶ原開拓地を対象とし、寺社の設立経緯をみると、成立経緯の異なる西那須野村と狩野村とでは異なる特色がみられた。 すなわち西那須野村は、地元の有力者矢板武・印南丈作を中心とする株主により組織された那須開墾社が母体であり、移住者の安定を図るべくとられた那須開墾社の経営方針と矢板武の財政的援助により、寺社も当初より計画的に設定され、積極的な誘致運動が行なわれた。とくに寺院は、葬式との関係はもとより、移住民の精神的よりどころ・コミュニティーセンターとして機能した。各教団も説教所の設立など積極的な布教活動を行い、入植者の教育や教化などの役割も果たした。移住民の社会的結合は、寺社を通じて強化されていったと考えられる。 一方、典型的な華族農場である三島農場では、寺院建立に対する計画はみられず、財政的援助もほとんど行われなかった。そのため寺社設立は入植者の自主的活動に依存することとなった。その多くは無格社としても公認されない小祀、いわゆる「無願神社」で、集落形成の比較的初期に地元の氏神を移す形で祭られた。三島農場と旧村部とが合併した狩の村では、伝統社会と開拓地という性格の異なる社会を内包し、開拓地経営においても積極的な地域統合の動きはみられなかった。 以上のように、開拓地における寺社創建の経緯や檀家・祭司組織は、村落形成をめぐる入植形態や村落構造、母村文化継承のあり方などに深く関わり、とくに農場主あるいは地域社会のリーダーの意向や経済的援助、移住民の要請などが影響を与える場合が多いと考えられる。
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