Project/Area Number |
06610327
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Research Category |
Grant-in-Aid for General Scientific Research (C)
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
Japanese history
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Research Institution | Osaka Shoin Women's Junior College |
Principal Investigator |
吉田 守男 樟蔭女子短期大学, 日本文化史科, 教授 (70201019)
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Project Period (FY) |
1994
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 1994)
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Budget Amount *help |
¥1,700,000 (Direct Cost: ¥1,700,000)
Fiscal Year 1994: ¥1,700,000 (Direct Cost: ¥1,700,000)
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Keywords | 原子爆弾 / 長崎 / 照準点 / 太平洋戦争 / 第2次世界大戦 / 軍事作戦 |
Research Abstract |
1.長崎原爆の照準点については、従来の定説(三菱造船所説)が誤りであることが判明した。第3回目標選定委員会は照準点を都市の中心とするよう決定した。この結果として、長崎の照準点は、港の西側や北側の工業地域(従来の説)にではなく、東側の住宅密集地域に定められていたこと、を論証した。(その後、史料の発見により、照準点の位置は中島川沿いの常磐橋であったことが判明し、上記の自説が完全に裏づけられた。) この結果、三菱造船所説が何ら史料的根拠もなしに、かなり以前から定説として定着してきたことに関して、これは誰かが何らかの政治的意味(例えば原爆投下の弁明)をもって作りだした作為によるものではないかとの疑念が深まった。 2.2発目の原爆が第一目標(小倉)に投下できなった事情は、従来言われているような天候(曇)のせいではなく、前日(8月8日)に行われた八幡への爆撃による火事の煙のせいであることがほぼ判明した。 3.原爆投下のパイロット達は、照準点の目視爆撃を命令されており、これが不可能なら原爆を持ち帰るよう指示されていたにもかかわらず、長崎の場合、持ち帰らずに投下を敢行したのは野戦命令に対する違反である可能性が強い。更に、2発目がなぜこれほど“見苦しいほと性急に"投下されたのかについて、改めてその政治的意味を問う必要性が増大した。
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Report
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Research Products
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