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16世紀-17世紀初頭におけるネ-デルラント人プロテスタントのドイツへの亡命

Research Project

Project/Area Number 06630049
Research Category

Grant-in-Aid for General Scientific Research (C)

Allocation TypeSingle-year Grants
Research Field Economic history
Research InstitutionHokkaido University

Principal Investigator

石坂 昭雄  北海道大学, 経済学部, 教授 (80000686)

Project Period (FY) 1994
Project Status Completed (Fiscal Year 1994)
Budget Amount *help
¥1,000,000 (Direct Cost: ¥1,000,000)
Fiscal Year 1994: ¥1,000,000 (Direct Cost: ¥1,000,000)
Keywordsプロテスタント / ネ-デルラント / 宗教亡命者 / 技術移転 / 国際商業の中心の転移 / 新毛織物工業 / アントウェルペン / ドイツ
Research Abstract

本研究においては,まず16世紀ネ-デルラントにおけるプロテスタンティズムと社会層との関連およびそのドイツにおける亡命の状況を追跡した。(1)信仰と社会層(i)初期のプロテスタンティズムの最大の勢力である再洗礼派=メンノ-派は,主として北ネ-デルラントの都市の貧しい手工業者,零細商人を中心としていた。ただし1550年代以降は,南ネ-デルラントの都市や農村工業地帯の,やや裕福な市民の間にも信徒を獲得した。(ii)それにたいして,1545年から姿を現すカルヴァン派は,とりわけ西南フランドルの農村毛織物工業地帯の生産者たちや,南ネ-デルラント東部のリ-エジュ=リンブルク地方の毛織物や鉄,亜鉛などの金属工業生産者の間に根を下ろし,また世界商業の中心であったアントウェルペンや,ヴァランシアンヌ,トゥルネ-などの都市の商人層や繊維工業(絹,毛織,綿)の生産者を掌握した。(iii)なお,ルターは,最も早くからドイツから入ってきたにもかかわらず,カルヴァン派に主導権を奪われて,アントウェルペンでのみ,有力な大商人の間に勢力を維持していた。
(2)ドイツへの亡命先の状況。(i)再洗礼派=メンノ-派。その最大の亡命先は,これまで貿易関係が緊密であったダンツィッヒであったが,都市にはその信仰ゆえに市民として受容されがたく,結局,手工業や商業活動をすてて,周辺の低湿地を干拓してこれを肥沃な牧草地に変えて,農民として多くの村落と教団を築いて19世紀に及んだ。(ii)カルヴァン派は,それと対照的に隣接したライン地方の諸都市,とりわけ帝国都市のケルン,ア-ヘン,フランクフルト・アム・マイン,ハンブルク,エムデン,ヴェーゼルなど,そして同じカルヴァン派のプファルツ選帝侯国に大量に移住して,国際商業や新毛織物工業,絹織物工業を移植した。ただし,都市をあげてカルヴァン派に移行した少数の都市を除いて,主として手工業者ツンフトを基盤とするカトリックないしルター派の現地市民層の圧力によって,彼らは社会的・政治的に大きな差別を被り,経済活動にのみ専念せざるをえなかったことにより,経済的には有力市民層を形成した。

Report

(1 results)
  • 1994 Annual Research Report
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  • [Publications] 石坂昭雄: "ネ-デルラント人プロテスタントのドイツへの亡命-その経済史的意義" 諸田實・梅津順一編著『近代西欧における宗教運動と経済活動』同文館. (印刷中). (1995)

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Published: 1994-04-01   Modified: 2016-04-21  

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