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唐宋変革期における刑制の変化

Research Project

Project/Area Number 06710214
Research Category

Grant-in-Aid for Encouragement of Young Scientists (A)

Allocation TypeSingle-year Grants
Research Field Asian history
Research InstitutionShiga University of Medical Science

Principal Investigator

辻 正博  滋賀医科大学, 医学部, 助教授 (30211379)

Project Period (FY) 1994
Project Status Completed (Fiscal Year 1994)
Budget Amount *help
¥800,000 (Direct Cost: ¥800,000)
Fiscal Year 1994: ¥800,000 (Direct Cost: ¥800,000)
Keywords法制 / 刑制 / 労役刑 / 追放刑 / 流刑 / 律 / 配軍
Research Abstract

本年度の研究成果は、以下の通りである。
(1)労役刑について。唐代の法定刑の中核をなしていた労役刑は、宋初に制定された折杖法によって大きく後退し、通説によれば、ほとんど行われなくなったとされていた。しかし、このたびの研究によって、こと律の流刑については、折杖法の規定通り「脊杖+配役(労役)1年」と読み替えて執行されていたことが明らかとなった。通説が事実上の流刑の執行刑と見なした編配(配軍・編管など)は、情状が凶悪な場合など特殊なケースに限って適用された刑罰であったと考えられる。
(2)追放刑について。律における追放刑・流刑は、先述の折杖法によりその本質を失ったが、皇帝の判断におけるより行われる配流刑は、宋代においても依然として存在した。しかし、王朝の地方統治との関係上、除々に矛盾を生じ、その解決のために罪人を軍隊に編入する配軍刑(雑役部隊への編入)が法定刑としての地位を得るに至った。配軍人にはあらかじめ脊杖(背中をたたく刑)と刺面(顔面への入れ墨)とが行なわれた。当初、配軍人は現住地の部隊に配属されたが、のちにはあたかも律の流刑の如き追放刑的な要素が取り入れられた。また、主に士人に対する追放刑として、配所での行動の自由を束縛する編管する刑罰が北宋半ばより現われた。これらはいずれも律(刑統)には何ら規定されておらず、皇帝の実質的な判断に基づき科された刑罰であった。

Report

(1 results)
  • 1994 Annual Research Report

URL: 

Published: 1994-04-01   Modified: 2016-04-21  

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