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世紀転換期における国家責任法の確立とその諸前提

Research Project

Project/Area Number 06852006
Research Category

Grant-in-Aid for Encouragement of Young Scientists (A)

Allocation TypeSingle-year Grants
Research Field International law
Research InstitutionKanazawa University

Principal Investigator

小畑 郁  金沢大学, 法学部, 助教授 (40194617)

Project Period (FY) 1994
Project Status Completed (Fiscal Year 1994)
Budget Amount *help
¥900,000 (Direct Cost: ¥900,000)
Fiscal Year 1994: ¥900,000 (Direct Cost: ¥900,000)
Keywords国際法の歴史 / 国家責任 / 外交的保護
Research Abstract

国家責任法の確立という点で今日の時点からみて画期的な出来事とみなすことができるのは、いずれも1903年の条約を根拠とし、ベネズエラを一方の当事者とする一連の仲裁裁判判決である。とくに、内戦の際の国家の責任について、それに適用可能な法的基準として「注意の欠如」の有無を提示する判決がいくつかみられた。実は、この基準は、当時の一般国際法と意識されていたとは考えにくい。一方、ベネズエラは、内戦時の損害について無条件で無問責を規定する国内法を制定し条約を締結するなど、ラテンアメリカ諸国のなかでもリーダーシップを発揮していた国であった。だとすれば、これらの判決は、ラテンアメリカ諸国とヨーロッパ諸国・合衆国との間に、それまで知られていなかった共通の法的基準を宣明したという意義をもっていることになる。
本年度の研究では、これらの判決を分析すると同時に、その前提となっているベネズエラとヨーロッパ諸国との間の19世紀中の法理論的な応酬を深く検討することにした。まず、1858年から63年までのベネズエラ内戦に伴う損害についての議論に着目した。結論的には、最後通牒を突きつけたスペインも賠償には正統政府の側の注意の欠如の証明を要するとの請求解決条約で満足しなければならなかったし、イギリスの法務官も厳格な過失責任主義とでもいうべき立場から責任に否定的であった。つまりこの段階では、ヨーロッパ諸国は、無条件の無問責の主張に反対していたものの、理論的にはせいぜい厳格な過失責任主義にとどまり、被害者を実際的に救済しうる理論を打ち出し得なかった。したがってイギリスは、仲裁裁判に付託したが、法的基準による解決を望まなかったのである。このような中間的な立場の背景には、合衆国が結局は不介入の立場をとったことがあるであろう。
かかる過程をさらに詳しく検討し、ベネズエラ仲裁裁判への展開過程を解明することが今後の課題である。

Report

(1 results)
  • 1994 Annual Research Report

URL: 

Published: 1994-04-01   Modified: 2016-04-21  

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