Project/Area Number |
07610364
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Research Category |
Grant-in-Aid for General Scientific Research (C)
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
Asian history
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Research Institution | Niigata University |
Principal Investigator |
関尾 史郎 新潟大学, 人文学部, 教授 (70179331)
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Project Period (FY) |
1995
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 1995)
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Budget Amount *help |
¥700,000 (Direct Cost: ¥700,000)
Fiscal Year 1995: ¥700,000 (Direct Cost: ¥700,000)
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Keywords | 麹氏高昌国 / 官制 / トウルファン出土文物 / 郡県制 |
Research Abstract |
先ず文書や墓誌など出土文物から、麹氏高昌国時代の官職とその就官者について、写真・図録はもとより、龍谷大学図書館で実見した文書を手がかりにしながら、事例を蒐集することにつとめた。この結果、新たにいくつかの知見を得ることができた。とくにこの国の地方官制に関しては、地方行政制度のあり方とも関連して、豊かな成果を上げることができた。 高昌国の地方官制は、同時代の中国王朝のそれと同じように郡では太守が、また県では県令が長官である。しかし中国と同じなのはこれら長官に名称だけであって、丞・尉といった次官クラスについては、同じような名称を見出すことができないばかりか、そもそも次官的な役割を担うべき官員は存在していなかった。次官クラスより下の官員についても同じで、せいぜい諸部局の司馬・参軍・主簿、そして吏員が存在する程度であった。太守や県令が遙任だったことは夙に指摘があるが、高昌国の地方官制と地方行政制度の特異性はこれにとどまらず、郡・県という「地方行政」自体の欠如ともいうべき事態を想定できるのである。司馬以下の諸部局の官吏も地方官衙の官員というより、むしろ国都の各中央官衙の出先といった性質を有していたと考えることができる。 また郡・県の司馬の就官者についてみると、多くは中央官衙の高位の就官者と同性であり、同族だった可能性がきわめて高い者たちばかりである。この国の地方支配の展開過程から判断するに、新たな郡・県が設置されるたびに、人工集中の傾向のあった国都から移住が繰り返されたと考えられるので、各階層から等しく移住が行なわれたという推測も可能であろう。
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