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¥1,100,000 (Direct Cost: ¥1,100,000)
Fiscal Year 1995: ¥1,100,000 (Direct Cost: ¥1,100,000)
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Research Abstract |
ストゥディオス修道院長の聖テオドロス(759-829年)は、9世紀前半に皇帝レオン5世によって再開されたイコノクラスムと対決し,イコン擁護を貫いた神学者として有名である。けれども,諸帝の宗教政策に反抗し,生涯に3度まで追放刑をうけたテオドロスを,単なる狂信的修道士とみなすのは誤りである。彼の態度には時期ごとに微妙な変化が認められるのである。本研究は,コンツタンティノス6世の再婚をめぐって発生したいわゆる「姦通」論争Moechian controversy(795-811年)を取り上げ,論争をめぐる政治的背景からテオドロスの主張や態度の推移を分析した。教会史上の「聖人」としての超越的な像ではなく,政治に大きく左右された歴史上の存在として,テオドロスを捉えるためである。 教会分裂の危機を引き起こし,皇帝権力の軍事介入をも招きつつ,前後あわせて10年以上にわたって繰り広げられた事件において,テオドロスの攻撃の矛先は表面上皇帝の再婚を祝福した司祭や総主教らに向けられている。しかし,純神学的な論争の背後において,皇帝の再婚相手がテオドロスの従妹であったことが彼の書簡より明らかとなっている。さらに年代記の記述からは,論争の再発直前の総主教選挙のおいて,候補者の一人であったテオドロスが教会内の紛争の火種となっていた事実が知られる。また,テオドロスは宗教問題に国家が介入することを非難したといわれているが,ミカエル1世治下においては逆に,国運を左右するような政治決定に関与していた。テオドロスのこのような態度は,ビザンツ帝国における宗教と政治の関係を知る上で非常に貴重なものといえるだろう。
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