Research Abstract |
1.1985年,房総半島南部の外洋に面する天津小湊町(小湊と略記)に勃発したニホンヤマビル(ヒルと略記)の大繁殖はバイオハザードとして地域住民や旅行者に被害を与えつつ永続する気配を見せたので,1987年より小湊に観察調査用の定点(No.1〜9)を設定,年平均15.7(14〜18)回の頻度で生息密度調査を継続したところ,1992年まで増加したのち漸減に転じ,1995年には終息の兆しを見せ始めた。定点を拠点としての調査・実験により明らかにしたヒルの環境医動物学的諸特性および11年間の概要を総括すると次の通りである。2.ヒルの源棲地:小湊北部を占める内浦山県民の森や清澄山(大風沢川・神明川の上流域)と推定。3.異常大発生の要因:小湊の山林事情の変化(薪炭の需要激減で伐採されなくなったマテバシイの葉が繁茂,日光を遮り,餌となる下草が生えなくなる)により、野生のシカがヒルを伴って里へ降り,市街地を俳徊,ヒルを伝搬。ヒルを捕殺する天敵動物の不在も大発生を助長。4.シカとヒルとの特異関係:シカは,ヒルの諸種供血宿主中で伝搬の主役[免疫組織化学的に証明]で,寄生するヒルの固有宿主的役割を演じた。即ち,ヒルは通常の宿主には吸血時のみ付着するが,ヒルの繁殖旺盛の頃の小湊のシカにには,吸血せずに四肢遠位部特に第III・IV趾間や後面に数匹のヒルが付着し,蹄間には,有穴腫瘤が高頻度に存在して穴腔内にヒルが潜居し,ヒルはあたかもシカ固有の体表寄生虫的であった。蹄間有穴腫瘤とヒルの腫瘤内寄生は,小湊のシカに特有の現象で,春日山原始林,金華山などシカの群生地域にも見られなかった。5.厳寒期静居個体〔ヒルの地中越冬期間中の12月後半〜3月前半頃,地表の転石や落板の裏に付着・静居する大型個体〕の正体:シカに運ばれてきて満腹吸血して離脱したものと判明。6.抗山蛭抗体と免疫学的間引き:ヒルに反復吸血されたヒトと哺乳類には,吸血後の創痕からの出血時間延長と凝固阻害とが回復するとともに,殺蛭的に作用する抗体が血中に生じたが,鳥類では不明確[ELISA法]。この抗体は,野性ジカでは幼獣には検体されずに老成獣に顕著[Ouchterlony法]で,ヒルにとって幼獣は安全な食源でも老成獣吸血による免疫学的間引き由来の生息度調節が実在する筈。7.生息密度の低下の原因は未特定であるが,1993年以後のシカの生息頭数の減少,ヒル孵化時期の遅延,当年孵化仔数の減少;1994年以後の厳寒期シカ寄生ヒル・蹄間腫瘤の激減〜消失,ヒルの吸血(食餌ありつき)頻度の低下;1995年頭年末の厳寒期静居個体の消失が随伴した。免疫学的間引き,今冬の寒冷・乾燥気候も大発生の終息化を助長したと推定されるが,雨水の酸性傾向〔pH6.58(5.8〜8.4)海塩混入〔NaCl濃度67.99(10.51〜458.84)mg/l)は無影響と考えられた。8.今後の見込み:大発生は終息し,被害は殆どなくなるが,通常の生息域(分布地)となって時折姿が発見されたり,希に吸血される可能性もありうると予想される。9.対比のために踏査した遠隔のヒル生息域の動向:秋田県(1市2町)では激減,栃木県今市市では緩和,神奈川県丹沢,静岡県千頭・宮城県,金華山では依然活発である。
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