唐代道教思想史に於ける「得道」観・「聖人」観の変遷
Project/Area Number |
07710011
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Research Category |
Grant-in-Aid for Encouragement of Young Scientists (A)
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
Chinese philosophy
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Research Institution | Prefectural University of Kumamoto |
Principal Investigator |
山田 俊 熊本県立大学, 文学部, 講師 (30240021)
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Project Period (FY) |
1995
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 1995)
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Budget Amount *help |
¥1,000,000 (Direct Cost: ¥1,000,000)
Fiscal Year 1995: ¥1,000,000 (Direct Cost: ¥1,000,000)
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Keywords | 道教 / 得道論 / 聖人 / 道性 / 古霊宝経 / 『三論元旨』 |
Research Abstract |
本研究では、六朝末までの道教経典に多く見られる神格による救済と、唐初以降の道典に多い内省的得道という図式を、道教思想史の上から考察しようとしたものである。 この内省的立場が仏教思想の影響を強く受けたものであることは、報告者の従来の研究から明白であるが、本研究では、仏教思想の影響を強く受けた唐初道典の母体とされている六朝期の「古靈寶經」の得道論を研究した(拙稿「「古靈寶經」の得道論」)。その結果、「古靈寶經」には様々な得道論が見られるものの、その大半は、絶対的神格の存在を前提とした、神格による救済であったことが判明した。このことは、神格による衆生の行為の判断を意味する「簿」「録」等の観念や、神格との「関係」を樹立することを意味する「縁」という概念に窺うことが出来る。従って、これらの救済論に於いては、衆生の本来性が得道と直接結び付けられて考察されることはほとんど無い。 同じく「靈寶經」系経典とされている唐初の道典では(例えば『本際經』など)、こうした「古靈寶經」の要素を一方で受け継ぎつつも、「古靈寶經」には見られなかった「道性」という極めて主体的・内省的な観念をその得道論の主軸に置いており、この点が六朝と唐とを分ける極めて大きな差異であることが改めて確認された。 しかし、唐初の道典も、その体裁が経典である点では「古靈寶經」と差異は無く、従って、体裁がもたらすものとしての救済論という要素を完全に払拭することはできていない。これに対し、本研究で扱った中唐の『三論元旨』は、六朝・唐の多くの道教経典の思想に基づいて得道を説く道典であるが、そこには神格による救済の立場は殆ど見られない。ここに、先行する道教の「經」の思想に依拠しつつも、それを完全に衆生側からの得道の問題として纏め挙げた「論」としての『三論元旨』の性格を見ることが出来る(拙稿「『三論元旨』の思想」)。従って、そこには、神格そのものの理解、それと連動する聖人の理解も極めて主体的なものとなってきていることが窺われる。
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Report
(1 results)
Research Products
(2 results)