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1960年代ドイツにおける東方政策の変化と米独関係

Research Project

Project/Area Number 07720052
Research Category

Grant-in-Aid for Encouragement of Young Scientists (A)

Allocation TypeSingle-year Grants
Research Field Politics
Research InstitutionKyoto University

Principal Investigator

岩間 陽子  京都大学, 法学部, 助手 (70271004)

Project Period (FY) 1995
Project Status Completed (Fiscal Year 1995)
Budget Amount *help
¥900,000 (Direct Cost: ¥900,000)
Fiscal Year 1995: ¥900,000 (Direct Cost: ¥900,000)
Keywordsドイツ政策 / 東方政策 / ブラント / 米独関係 / デタント
Research Abstract

60年代の世界の顕著な特徴は、多極化である。フランスを筆頭に、欧州諸国とアメリカの関係も、50年代とは質的に異なるものになった。米独間では、アイゼンハワ-期すでに、アメリカは西ドイツの硬直化した対共産圏政策に不満であったが、ケネディ政権期に入ると、米独間の乖離は決定的となった。キューバ危機後、米ソ間にデタントが訪れると、西ドイツはとり残された形となった。米ソのやり方に怒りを感じ、自らの手にイニシアチブを取りもどそうとしたのが、ドゴール外交であったが、60年代の西独政権は、そこまで自由にはなれなかった。政権党であったCDUは、自らの過去の政策の虜であり、エアハルト政権、キ-ジンガー政権の東方政策の修正は、その限界の中で、何とか時代の流れに適応し、孤立状態から抜け出そうとする努力であった。これに対して社民党は、過去の政策にとらわれる必要がない文、より大胆な政策が出せた。ブラントの新東方政策は、米の要請に応じ、米の立場に近寄ったいうよりは、60年代に生じた米独間の距離を、逆に行動の自由を可能にする条件として利用し、東西関係のゲームのイニシアチブを、西独の手に握ろうとするものであった。
70年代のデタントと称される現象は、60年代に西側の外交が分散した中で、いくつかの芽が自律的に発展した結果であるが、かといってそれぞれが孤立して展開したわけではなく、東西関係の大きな波を意識し、利用しながら生じて来たものであり、複眼的、かつ総合的な理解が必要となる。

Report

(1 results)
  • 1995 Annual Research Report

URL: 

Published: 1995-04-01   Modified: 2016-04-21  

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