Research Abstract |
19世紀ブリテン経済思想における「経済人」像を、神学的背景に配慮して検討した。 第一に、エッジワ-スの『数理的心理学』(1881)は従来、ジェヴォンズの効用理論を改善してパレート最適のモデルとして示し、完全競争市場の成立条件を厳密化したものとして着目されてきたのだが、本研究の観点からは、神学的な知識論のなかでの経済学の数理科学化をもたらしたものとして評価できる。エッジワ-スはスペンサー流に、神ならざる人間の不完全知識から完全知識へと近づく営為として科学を見なし、当時の新興科学としての熱力学の手法を人間行為の分析に応用する。これは社会現象の学について、理論的に厳密化するという意味で数理科学化を図るとともに、統計データとの照合の面で確率論的に処理したものであり、ジェヴォンズ的な厳密科学-精密科学の区分を、神と科学との緊張関係のなかで受け止めたものといえる。 第二に、マルサスの亜流として片づけられ、せいぜい、過少消費税と重農主義と自由貿易論との奇妙な結合とされてきたチャーマ-ズに、ごく近年のB. Hilton, A. M. C. Eatermanらの検討を手がかりにアプローチした。福音派のチャーマ-ズは、商業上の失敗(とくに恐慌)は当の事業者自身に対する神の制裁であるばかりでなく、一国のあり方に対しての神からの警告でもある、とする。生産的-不生産的というスミス、マルサス的な区分をチャーマ-ズはかねてより退けていたが(1808)、このモデルのもとでは、経済行為者の利益追求行動は神からの制裁を避けるべく、穏当なものにならざるを得ない。Christianityによって導かれる社会のもとで、神への畏れから、利己心は人々を正直にしていく、とされるのである(1820)。人々の商業活動を適切な範囲に導くためには、神による制裁という回路を歪めてしまう保護貿易は、避けられて然るべきものであった。 「経済人」という観点から見た場合、数理的推論のモデル的前提として置くエッジワ-スとは対称的に、チャーマ-ズは福音派的な経済行為の人間像として考えていたといえる。
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