Project/Area Number |
07852001
|
Research Category |
Grant-in-Aid for Encouragement of Young Scientists (A)
|
Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
Fundamental law
|
Research Institution | Kitami Institute of Technology |
Principal Investigator |
阿曽 正浩 北見工業大学, 工学部, 助教授 (00221721)
|
Project Period (FY) |
1995
|
Project Status |
Completed (Fiscal Year 1995)
|
Budget Amount *help |
¥900,000 (Direct Cost: ¥900,000)
Fiscal Year 1995: ¥900,000 (Direct Cost: ¥900,000)
|
Keywords | ロシア / 自由 / 検閲 / 報道 / マスメディア / マスコミ / 出版 / 放送 |
Research Abstract |
この研究では、1917年から1921年までの革命・内戦期のソヴェト・ロシアにおける報道規制システムの形成過程を概観した。研究の結果、次のような新たな知見が得られた。 1.近代以降のロシアのマス・メディア法史は、規制の歴史であった。これを根本的に変えたのが、1917年の2月革命であった。帝政を崩壊させた臨時政府は、出版の自由に関する決定で、ロシア史上初めて出版の自由を保障した。しかし、戦時下の首都ペトログラードで起きた武装デモの鎮圧(7月事件)のため、臨時政府は先の決定を修正し、軍事命令不服従、暴力や内乱を呼びかける定期刊行物の停刊を決断した。皮肉なことに、出版の自由を宣言した臨時政府自身が、わずか数カ月で出版の自由を否定せざるをえなくなったのである。 2.総力戦の組織に失敗した臨時政府に取って替わったボリシェヴィキ(後の共産党)は、10月革命後直ちに出版に関する布告で反政府新聞の発行を禁止し、次いで出版問題に関する決議で出版の自由を明確に否定した。この論拠は、資本主義の下での形式的な出版の自由が幻想で、実質的には資本家のための自由にすぎないというものであった。これに代えて1918年憲法14条は,現実の自由を保障するために資本家から奪った出版手段を勤労者に配分すると定めた。このソヴェト的自由論は,近代の自由に対して,資本の自由(経済的自由主義)は批判するが,国家からの自由(政治的自由主義)を欠落させたまま,出版手段にアクセスする制度(民主主義)を確立させなかった。これが自由を抑圧する原理として機能することになったのではないか。 この点を明らかにするためには、今後、この時期の実証的研究を深めるとともに、さらにこの後の時期にも研究対象を移さなければならないだろう。
|
Report
(1 results)
Research Products
(2 results)