Project/Area Number |
08610241
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Allocation Type | Single-year Grants |
Section | 一般 |
Research Field |
Educaion
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
土方 苑子 東京大学, 大学院・教育学研究科, 教授 (50099909)
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Project Period (FY) |
1996
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 1996)
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Budget Amount *help |
¥1,300,000 (Direct Cost: ¥1,300,000)
Fiscal Year 1996: ¥1,300,000 (Direct Cost: ¥1,300,000)
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Keywords | 私立小学校 / 新学校 / 各種学校 / 東京市 |
Research Abstract |
学制以降、東京市区域内では多数の私塾、寺子屋を私立小学校に再編する一方、新たに少数の公立小学校を設置して近代的な学校制度を設立した。圧倒的多数をしめていた私立小学校は明治40年頃には減少して、公立小学校が圧倒的優位を占めるようになる。この時期、私立小学校は公立学校より貧弱で中下層向けの学校とされていた。これまでの私立小学校の研究は、このような私立小学校を近代にはほろぶべき近世的遺物のように描く一方、大正期に生まれた新中間層を対象とした私立小学校、すなわち大正新学校を取り上げてきた。 本研究は二つの性格の私立小学校の関係、変化の経過を明らかにしようとするもので、まず第一に、私立小学校に関する法規の検討を行った。戦前期の法令、解説書などの検討を通して、私立小学校は多くの場合小学校ニ類スル各種学校と一緒に規定されており、明治32年私立学校令を契機に両者は分離、概念を確立することがわかった。私立小学校が多いのは東京市に特有であるが、大阪など他の都市にも各種学校があり、これらをトータルに検討する必要があることが明らかになった。第二に、東京都公文書館が所蔵する私立小学校に関する簿冊の調査をおこなった。明治期の私立小学校には中小企業とでもいうべき性格がみられ、経営者と校長は別で、経営利益が計上された予算書が少なからずある。また校舎、教具、書籍などは財産でもあるので、家族に遺産として継承するような手続きがとられている。東京市で私立小学校が衰退するのは、これらの企業として学校では、国家がきめた教育内容を与えられない、という理由が大きいと思われる。少なくとも明治期東京市の私立小学校は単なる近世の遺物ではないことが明らかである。また最盛期(明治中期)の私立小学校にも上層向けの学校を認めることができ、これら経営として成り立ち得たものが大正期にまで存続している。以上の点が主要な到達点である。
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Report
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Research Products
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