Project/Area Number |
08780196
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Research Category |
Grant-in-Aid for Encouragement of Young Scientists (A)
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
教科教育
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Research Institution | Saga University |
Principal Investigator |
世波 敏嗣 佐賀大学, 文化教育学部, 助教授 (10210783)
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Project Period (FY) |
1996
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 1996)
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Budget Amount *help |
¥800,000 (Direct Cost: ¥800,000)
Fiscal Year 1996: ¥800,000 (Direct Cost: ¥800,000)
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Keywords | 連合王国 / 1960年代 / 中等教育段階 / 理科教育改革史 / 生物学教育 |
Research Abstract |
1960年代の連合王国に関して、1959年に「中央教育審議会報告書、15-18歳」(クラウザ-報告)が公表され、学校卒業年齢を16歳に引き上げることが勧告され、シックス・フォームにおける過度な専門化が非難されたことから、1960年の中等学校試験委員会報告書(ベロ-報告)によってモダン・スクールの生徒の内、有能な子ども達のための試験が必要であることが認められた。このことが1963年のニューザム報告によって裏打ちされ、1965年にCSE試験が設定されることになり、試験制度全体の改革が行われた。この改革では、実際的作業や読み書きの能力、計算能力、また、教科としては、数学、理科、人文科学系教科が13〜16歳の生徒に必要なものとして強調されており、生物学教育を含めた理科教育では、Oレベル・Aレベル試験におけるよりも一層実際的なものが求められることになった。 こうした理科教育の実際化とも言える改革のもう一つの要因として、1962年にナフィールド理科教授計画が発足したことも挙げられる。発見的・探究的な理科学習への流れに沿いつつ、同計画における実際的な理科教育の傾向が、先のCSE試験の設定とあいまって、生物学教育の実際化へとつながっていったと言える。 この60年代の連合王国における中等教育段階では、「生物」・「化学」・「物理」の主な分科理科三科目と、総合理科科目としての「総合理科(ゼネラル・サイエンス)」が挙げられることは現在と同様と言える。生物学教育にかかわる理科諸科目に関しては、「動物学」や「植物学」、「農学」、「園芸」などの科目も見られる。 また、1960年代中葉から学校制度としての三分岐体制の解体や選抜制の廃止が叫ばれ、総合制中等学校(コンプリヘンシブ・スクール)が設置され、後の1970年代に増加していくことになるが、それ以前の1963年に、それまでの理科教師協会(SMA)と理科女教師協会(AWST)が合併されることとなり、理科教育協会(ASE)が発足した。これらの統合によって、生物学教育を含めた理科教育のための統一的基盤形成が行われた時代であると言える。 加えて、生物学教育の内容に関して、1960年にマンチェスター・グラマ-スクールのJ.K.Brierley講師が、シックスフォームの文系向け科目として「ヒトの生態学」を提案している。この科目の四領域の内、「II.ヒトとその環境」の「(a)人口」で人口増加、食糧、住宅、資源、農薬などの問題が、「(b)ヒトの知られざる活動」で喫煙と肺ガン、大気汚染、ヒトと自然のバランス、衛生などが取り上げられおり、環境教育的内容が領域として1/4を占めていた。このように、生物学教育における環境教育的内容の取り扱いが見られ、生物学教育が内容的に拡充しつつあった時代でもあったとも考えられる。 以上のことなどが明らかとなった。
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