Project/Area Number |
09203207
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research on Priority Areas
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Institution | Okayama University |
Principal Investigator |
吉田 浩 岡山大学, 文学部, 講師 (70250397)
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Project Period (FY) |
1997
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 1997)
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Budget Amount *help |
¥800,000 (Direct Cost: ¥800,000)
Fiscal Year 1997: ¥800,000 (Direct Cost: ¥800,000)
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Keywords | ロシア / 中央黒土 / 農民 / 移民 |
Research Abstract |
本研究はロシアの代表的な農業地帯である中央黒土地域が、19世紀の国家機構の再編期にいかなる構造を持ち、帝国内でいかなる働きをし、どのような地域的一体性を保持していたのかを、その地理的位置を考慮しながら明らかにすることを目的として行われた。研究実績は以下の通り。 1.19世紀末から20世紀初頭の中央黒土地域の農民研究-この時期の農民生活は、農業条件の悪化の過程であった。第一の理由は森林の減少である。これは単純に耕地の増加を意味するのではなく、逆に気候の乾燥化、水源の枯渇化、窪地の増加を意味し、さらにこれは畑を浸食することにつながる、ヴァロ-ネジ県4郡の史料によれば、1860年代末から1880年代にかけて耕地不適地は71,3%増加した。第二に、人口の増加が、一人当たりの土地量を減らした。土地不足そのものと共に、土地が減少するとという感覚が心理的に大きな影響を与えた。その結果、共同体的集団主義と個人主義の葛藤が農業中心のこの地においても特徴となった。 2.移民、植民、出稼ぎ研究-(1)1884年内務省の人口動態調査分析により、ドン・クバン地方へ農業移住(長期)と、モスクワ方面への工業出稼ぎ(中期)の2つのパターンが確認された。(2)1870年代から1920年代までのタムボフ県の農業移民について、シベリア、ウファー・オレンブルク地方、ヴォルガ川下流地域、北カフカス地方への移住が確認された。20世紀になると移住者が激増するが、出戻り者も52%に昇った。多く移住者を出したのは、人口密度が比較的高く工場が少なく専ら農業を営む地域の多い郡である。人口増加、土地の狭あい化、そして農業以外に生活の道が存在していなかったことにより農民は移住を選択したと考えられるが、それでもタムボフ県では土地問題は解決せず、1920年代後半にも年平均2万5千〜3万人が移住を希望していた。
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Report
(1 results)
Research Products
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