ハプスブルク帝国の近代化と地方社会 〜ダルマチアを中心に〜
Project/Area Number |
09710264
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Research Category |
Grant-in-Aid for Encouragement of Young Scientists (A)
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
History of Europe and America
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Research Institution | Atomi University (1998) University of Tsukuba (1997) |
Principal Investigator |
石田 信一 跡見学園女子大学, 文学部・文化学科, 講師 (80282284)
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Project Period (FY) |
1997 – 1998
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 1998)
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Budget Amount *help |
¥1,500,000 (Direct Cost: ¥1,500,000)
Fiscal Year 1998: ¥700,000 (Direct Cost: ¥700,000)
Fiscal Year 1997: ¥800,000 (Direct Cost: ¥800,000)
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Keywords | ダルマチア / オーストリア / ハプスブルク / クロアチア / セルビア / ナショナリズム / 近代化 / 地方社会 / ハプスブルク帝国 |
Research Abstract |
ハプスブルク帝国の一地方であるダルマチアの事例を取り上げ、近代化過程における地方社会の変容を解明した。ダルマチアの近代化は当地の民族間関係を悪化させ、地方社会の分断化を助長したという仮説を提示し、その実証を試みた。近代化とは国民原理に基づく諸制度の一元化を伴うものであったが、ハプスブルク帝国は雑多な歴史的・民族的背景を持つ諸地方の連合体であり、帝国全域で国民的統一を実現するのは困難であった。むしろ、国民社会の形成は地方(州)単位で進行し、それらは小規模の国民国家的存在となっていった。ここで注目されるのは、それぞれの地方社会にも雑多な歴史的・民族的要素が混在しており、近代化に伴う伝統社会の再編、すなわち国民社会の形成は容易に実現しなかったことである。統一国家の伝統がなく、国民統合の核を持たないダルマチアでは、その傾向は顕著であった。 ダルマチアの場合、19世紀半ばまで支配階層は同地の独自性を主張し、ダルマチア・ナショナリズムとも呼ぶべき方向性を提示したが、住民の多くは国民的志向において曖昧な部分が大きく、必ずしもこの立場を支持しなかった。これに対して、1860年代、同地の併合を国民的要求として掲げるクロアチア、セルビア、イタリアという周辺諸国のナショナリズムがダルマチアにも急速に浸透し、その三つの方向での社会の分断化が進展していった。政党はクロアチア人の民族党、セルビア人のセルビア民族党、イタリア人の自治党に三分され、各種の文化団体も同様に分裂していった。オーストリア政府はこうした状況を利用し、少数派を優遇する分断統治の手法でダルマチアの一体化を阻害した。結論として、近代化に伴う伝統社会の再編は各集団の対立を顕在化させ、地方社会に軋轢を生じさせる契機となったと考えられる。
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Report
(2 results)
Research Products
(2 results)