Research Project
Grant-in-Aid for Encouragement of Young Scientists (A)
釜ヶ崎暴動および釜ヶ崎を含む寄せ場形成史に関わるに資料の収集ならびに資料整理を行なうと同時に、集まった資料をもとに釜ヶ崎の地域変動過程を整理し、暴動の原因論ならびに変質過程との相互作用の分析を行なった。まず、釜ヶ崎の形成過程については、明治期におけるスラムクリアランス政策の結果として、細民窟としての釜ヶ崎が地域として析出される過程、ついで、大正から戦前期にかけての社会事業による細民救済の試みと戦時体制下におけるその頓挫と、日雇労働者層の戦時体制への組み込みまでの過程を整理することができた。ただし、戦後の復興過程のなかで、釜ヶ崎が具体的にどのようにして再生していったのかを示す資料が不足しており、山谷地域の様な明確な像を結び切れていないことが課題として残る。次に、釜ヶ崎暴動の原因論については、過去の釜ヶ崎暴動に関わる新聞記事の整理から、暴動の発生に3つのピークが存在しており、これらの「波」を説明するという課題に取り組んだ。その手始めとして、DFA仮説をこの暴動の「波」に適用し、検証する作業を行なった。その結果、通説と異なって、釜ヶ崎における「景気変動」は、暴動の発生強度に対して、(十分条件としてではあるが)極めて限定的な範囲内で負の相関を示していることがわかった。ただし、それよりも説明力のある変数として、行政施策や日雇労働運動の進展、また暴動の変質過程等を視野に入れなければ、十分な説明はできないことを示している。最後に、暴動の変質過程についてであるが、釜ヶ崎暴動の攻撃対象を時系列でプロットしてゆくと、暴動の3つの波ごとにそれぞれ特有のパターンが存在することがわかった。また、暴動の継続・反復によって、攻撃対象が拡散し、総体としての暴動が「自壊」してゆくプロセスはすべてに共通してみられる。今後は、このような変質過程を、地域変動過程と関わらせて整理し、説明してゆく必要がある。