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一八世紀オランダ都市における救貧活動および移民からみた「衰退」期社会の構造分析

Research Project

Project/Area Number 10710180
Research Category

Grant-in-Aid for Encouragement of Young Scientists (A)

Allocation TypeSingle-year Grants
Research Field History of Europe and America
Research InstitutionUniversity of Toyama (1999)
Osaka University (1998)

Principal Investigator

大西 よし之 (大西 吉之)  富山大学, 経済学部, 講師 (80283703)

Project Period (FY) 1998 – 1999
Project Status Completed (Fiscal Year 1999)
Budget Amount *help
¥700,000 (Direct Cost: ¥700,000)
Fiscal Year 1999: ¥700,000 (Direct Cost: ¥700,000)
Keywordsオランダ / 社会史 / 救貧 / 近世都市
Research Abstract

一六八三年以降、ロッテルダムには二つの孤児収容施設が存在した。市民権を有する孤児を収容する孤児院、もう一つは片親が存命である場合や市民権を有しない孤児、捨て子、庶子を収容する救貧院である。本研究では両施設を題材に、孤児の待遇に市民と非市民で大きな格差がみられたとする従来の説を検証した。分析では両施設の一人あたり収容コストには格差が見られたものの、死亡率や逃亡率の点で、あるいは職業訓練の点で大きな違いのないことが判明した。なぜか。説得的な理由として両施設の収容者にみられる共通性がある。教区に属さない「都市貧民」が救貧院へ流れたという従来の見解は分析から否定された。さらに両施設の収容者の社会的出自に共通する点が見られた。救貧院収容者の少なくとも1/6は、片親だけでは養育に必要な人手、収入を確保できない市民の子であった。両施設の対象者は共に改革派教会に属する教区民の子供であり、その社会階層にも互いに重複する点が見られたといってよい。とすれば両施設は退所後に孤児を経済的に自立させるという点で目的に違いがなかったことになる。おそらくサービス格差(救貧院サービスの低さ)は増大する救貧コストへの対策であり、収容基準の甘い救貧院に子供が殺到する「モラルハザード」を防止する対策だった。しかしこれは孤児を市民権に有無に基づいて社会的に分離しようとするものではなかった。退所後に関しては、就業先が東インド会社の船員であった場合のみ、孤児たちのその後を追うことができる。これによると一七七〇年前後まで東インドに向かう子供たちの待遇に施設の別を認めることができなかった。ここでも両施設の「平等性」が確認された。もっともその後は、救貧院出身者の待遇が相対的に低下し、その劣悪な環境にも関わらず、東インドに向かう救貧院出身者の数は急増する(孤児院の場合はほぼ一定)。しかし、これは市民権の社会的重要性が増大したということを意味しない。オランダの経済的「衰退」がいよいよ末期的な段階に達したことで、救貧院収容者の数が増大し、施設としては可能な限り早めに退所させたかったが、優良な就業先を確保できなかったのである。一方、孤児院の収容条件には両親の死亡と市民権の保持があったため、経済衰退の影響を受けることが少なかった。以上から一七七〇年を境として、それ以前までオランダ都市社会の救貧が教区に基づく非身分的性質をもっていたこと、その後は経済的「衰退」によりその性質が変質、喪失していったことを確認した。

Report

(2 results)
  • 1999 Annual Research Report
  • 1998 Annual Research Report

URL: 

Published: 1999-04-01   Modified: 2016-04-21  

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