Project/Area Number |
11164265
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research on Priority Areas (A)
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Allocation Type | Single-year Grants |
Review Section |
Humanities and Social Sciences
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Research Institution | Tokai University |
Principal Investigator |
春田 晴郎 東海大学, 文学部, 助教授 (90266354)
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Project Period (FY) |
1999
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 1999)
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Budget Amount *help |
¥1,200,000 (Direct Cost: ¥1,200,000)
Fiscal Year 1999: ¥1,200,000 (Direct Cost: ¥1,200,000)
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Keywords | 古代イラン / 世界観 / 東西対立 |
Research Abstract |
前6世紀半ばのハカーマニシュ(アカイメネス)朝の西アジア征服から、後7世紀半ばのサーサーン朝滅亡までを対象年代に、支配集団のみならず、配下や周辺の各集団の世界認識を挙げて、共通点・相違点を研究してきた。 ハカーマニシュ朝の、ダーラヤワウ1世によるビーソトゥーン碑文をはじめとする王碑文、クシャン朝のカニシュカによるラバータク碑文、ナクシェ・ロムタムなどに残るサーサーン朝初期のアルダフシール1世、シャーブフル1世の碑文、これらを比較することによって、自称としての「アルヤ・エーラーン(イーラーン)概念」がこれらの王朝に存在することを確認する。また、碑文の文言から、それがビーソトゥーン碑文のアラム語版を媒介にして後世に伝えられていった、という仮説を、他の史料から補強した。例えば、ハカーマニシュ朝時代のアラム語パピルスにみられる表現が、ほぼそのまま中世ペルシア語による物語にも受け継がれている。 「世界を西と東とに二分する歴史観」の形成についても、ギリシア・ローマの相違を無視した「西の一体性」、そのアンチテーゼとして「自由の無さ」で括られる「東の一体性」および両者の峻別、このような世界観は、紀元前2世紀まではみられないこと、領土を急激に拡張した前1世紀以降、自国の安定のために「強大な敵を外に」作り出すというイデオロギー操作が、この世界観形成に関連しているのではないか、という仮説を提示できる。いっぽう、「東」側の世界観についても、サーサーン朝初期の帝王浮彫・碑文などから、「対ローマ戦勝」を国内に向けても大々的に宣伝していたことが示せる。東西の大国とも、「世界を西と東とに二分する歴史観」を利用していたのである。
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