Research Abstract |
本年度は,1920年代までの米国東部諸州における精神薄弱者地域生活支援方法とその対象者の実態についてマサチューセッツ州を中心に検討した。衰退の経過に関する分析は課題として残された。 1910年代までには,公立学校制度の拡充のなかで,施設未収容精神薄弱児の存在が学校教育行政サイドからも確認されるようになった。これに伴い,精神薄弱者施設には,施設当局が従来受け入れていた対象者よりも知的能力の高い精神薄弱者が入所するようになる。就学時点で問題になったケースと就学後しばらくして問題となったケースがこの対象者に含まれた。1915年頃までには,とくに生活年齢10歳から20歳の魯鈍(moron)が,新規入所者の最大多数となり,15歳以上の年齢では女子の受け入れが多かった。 コミュニティにおける精神薄弱児の訓練の場として,公立学校の特別学級がその役割を担うようになると,施設は,就学期間終了後の精神薄弱児への一定期間の保護と訓練の提供をその重要な役割として位置づける。そして,これらの対象を含む施設入所者のうち,施設における訓練の結果,職を得てコミュニティで生活することが可能と考えられる者に仮退所による試行的コミュニティ生活を実施した。ソーシャル・ワーカーが仮退所先の事前調査・環境調整,退所中の訪問指導・対象者との交信・雇用主や家族との交信を行い,支援を行っていた。百数十名の仮退所者に対して2名程度のワーカーがケアにあたっていた実状から,十分な支援が行われていたとは言い難い。 レンサム施設の仮退所対象者(1915〜18年)についてみると,M.A.8歳から11歳,C.A.13〜34歳であった。主な就業先は工場,店員,家事,子守,農場で週あたりの賃金は平均8ドルであった。仮退所に失敗し施設に戻った者の主な理由は業務遂行能力よりも反社会的行動や情緒不安定が問題になったためであった。
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