Budget Amount *help |
¥2,200,000 (Direct Cost: ¥2,200,000)
Fiscal Year 2000: ¥600,000 (Direct Cost: ¥600,000)
Fiscal Year 1999: ¥1,600,000 (Direct Cost: ¥1,600,000)
|
Research Abstract |
戦前から今日までの『国勢調査』,『新潟県統計書』や『新潟県史』など既存統計調査を用いた長期分析により明らかになった新潟県女子労働の主な特徴は以下の通りである。(1)新潟県の労働力率ならびに年齢階級別女子労働力率は,70年間以上にわたり常に全国レベルより3〜20%ポイント以上高い。(2)県レベルでみた年齢階級別労働力率が台形型からM字型に移行する年は,市レベルのそれより20年以上遅い。(3)新潟市の労働との関係は,台形型からM字型への移行,職業分布や労働時間など多くの点で県レベルより全国ベースの推移に共通点をもつ。(4)本県において戦前女子の副業は日常的に観察された。本学関係者を対象に実施したアンケート調査では,農閑期には「養蚕」「養鶏」「縄ない」や味噌・醤油の「行商」に携わっていたことが明らかになった(2000年3月調査,配布枚数778枚,有効回答数459枚)。 また,新潟県立文書館(県立図書館内)等における『新潟新聞』,『新潟日報』や『東北日報』のマイクロフィルムの検索・収集からは,(1)明治期は小学校女教員,女証券師や看護婦(長岡市),羽二重地に刺繍したハンカチーフ製造,大正期以降は百貨店や新潟鉄道局での電話交換手・タイピスト・事務員,織物工場(十日町)などがある。(2)長野・群馬・福島県の紡績・製糸工場に出稼ぎにいく女子も多く,大正末期には全国出稼ぎ女工の2割を超える。その出稼ぎも,土木工事が各地でさかんになった高度経済成長以降は急減する,などがわかった。 年齢階級別にみた職業小分類に基づく分布状況とあわせて考慮し,戦前「有業率」を今日の「労働力率」に変換すると,1920年新潟県の女子労働力率は68.0%から78.1%に上昇する(全国レベル56.4%→65%)。新潟県には全国初と形容される諸制度(民間常設保育所,女工保護組合など)があり,女性と仕事を考える上で極めて今日的な課題でもある。今後はこれらについて研究を進めていきたい。
|