牛痘接種法の普及過程と天然痘による乳幼児死亡の変容-武蔵国多摩郡の事例
Project/Area Number |
11871053
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Research Category |
Grant-in-Aid for Exploratory Research
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Allocation Type | Single-year Grants |
Research Field |
Japanese history
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Research Institution | Tezukayama University |
Principal Investigator |
川口 洋 帝塚山大学, 経営情報学部, 助教授 (80224749)
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Project Period (FY) |
1999 – 2000
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 2000)
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Budget Amount *help |
¥1,500,000 (Direct Cost: ¥1,500,000)
Fiscal Year 2000: ¥700,000 (Direct Cost: ¥700,000)
Fiscal Year 1999: ¥800,000 (Direct Cost: ¥800,000)
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Keywords | 天然痘(疱瘡) / 種痘(牛痘接種法) / 乳幼児死亡 / 江戸時代 / 武蔵国多摩郡 / 過去帳 / 宗門改帳 / 人口 / 流行年 / 陰陽師 |
Research Abstract |
牛痘種痘法導入以前に有効な予防法のなかった疱瘡は、罹患した乳幼児が死亡する危険性の高い伝染病であった。しかし、疱瘡流行の実態、疱瘡に罹患した子供の看護方法、牛痘種痘法導入・普及過程、乳幼児死亡率低下への寄与などについては、未着手の課題であった。昨年度は、武蔵国多摩郡における牛痘種痘法の導入・普及過程、疱瘡神を祭る信仰行事、中藤村原山集落における疱瘡による乳幼児死亡数について考察した。本年度は、疱瘡が流行した地域的範囲と伝染経路について検討した。研究成果は以下に要約できる。 (1)中藤村の陰陽師の著した『指田日記』によれば、天保14(1843)年は疱瘡の流行年であり、同村では多数の乳幼児が死亡した。臨済宗建長寺派の下石原源正寺、日野宿宝泉寺、打越村梅堂寺、川崎村宗禅寺、羽村一峰院、および千ヶ瀬村宗建寺の過去帳によれば、1843年における数え年15歳未満とみられる子供の死亡数が平常年を大きく上回っていた。したがって、現在の府中市から武蔵村山市、日野市、八王子市、羽村市、青梅市におよぶ広範囲で1843年に疱瘡が流行した可能性が高い。1843年における中藤村住民の生活交渉空間は、狭山丘陵周辺の近隣地域を遥かに越えて、江戸、秩父、日光、富士山、伊豆、真岡におよんでいた。飛沫による空気感染と水疱液や瘡蓋の接触によって感染する疱瘡の伝染経路は、民衆の生活交渉空間と密接な関係があったと思われる。 (2)年齢階層別の疱瘡罹患率、致死率、致命率を算出するために、中藤村源蔵組の「宗門改書上帳」(天保14年から文久4年)を「宗門改帳」古文書画像データベースに登録して、人口分析を行う準備を整えた。
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Report
(2 results)
Research Products
(3 results)