Research Abstract |
宮崎県えびの市大字島内字平松,杉ノ原に所在する,島内地下式横穴墓群から出土した古墳時代後期に属する人骨について人類学的検討を行った。島内の成人骨は周辺の南九州山間部の古墳人と同様の特徴を多く持つ。しかし,個別にみていくと,非縄文人的特徴を持ち合わせている個体もかなり存在する。サイズの比較的大きな脳頭蓋,頭蓋長幅示数の中頭型,広鼻,鼻骨の湾曲,大腿骨の柱状性などが,周辺の南九州山間部の古墳人と同様の特徴である。上顔高,眼窩高が高い点などは異なる特徴である。計測値の比較から,島内古墳人は,集団としては縄文人的特徴を多く持つ。頭蓋形態小変異22項目の観察を行ったところ,島内は眼窩上孔,内側口蓋管骨橋の出現が多く,顎舌骨筋神経管,横頬骨縫合痕跡の出現は少ない。舌下神経管二分の出現は,それほど多くない。22項目の出現頻度からスミスの距離を計算すると,島内古墳人は古墳人(本州中央部・東部),北部九州弥生人,現代日本人に近く,縄文人,西北九州弥生人,北海道アイヌとは遠い。日本列島の8集団について,スミスの距離行列からクラスター分析を行うと,縄文系と渡来系の2大クラスターに分割される。島内は渡来系に入り,縄文系に分けられる西北九州弥生人とは異なる。西北九州弥生人は,頭蓋計測値,頭蓋形態小変異の分析のいずれもが縄文人に類似し,体質的にも文化的にも縄文人的色彩が遅くまで持続した集団と考えられている。島内は,頭蓋計測値の分析結果では西北九州弥生人と類似するが,頭蓋形態小変異の出現頻度の分析結果からは類似しない。この頭蓋計測と頭蓋形態小変異の相違する分析結果は,島内の人々が縄文人的特徴を残しながらも,渡来系の遺伝子をある程度受け入れた集団であるとの解釈を可能にすると考える。
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