Research Abstract |
平成13年度は,ジュネーブのホテルの当事者がホテルにおける雰囲気をどのように考えているかを研究した。具体的な作業としては,ジュネーブのホテルに対し,郵送で自由質問を行なった。質問したホテルは19軒で,そのうち6軒から郵送で回答を得た。とくに,ジュネーブを代表する3つのホテルからは,詳細なコメントと資料を得た。それらをもとに,ホテルの雰囲気のもつ意味を考察した。その結果,各ホテルは,それぞれ独自の方法で,ホテルの雰囲気をつくりだしていることが分かった。しかもそれらの,いわば構成される雰囲気は,ホテルの経営戦略と強く結びついていることも分かった。このような雰囲気は商品としての雰囲気であり,ジャン・ボードリヤールやエドワード・レルフの指摘するようなポストモダンにおける雰囲気と重なると言える。また,雰囲気というものは,ホテル・レストラン案内などでは極めて限定的な意味しか担うことはないが,ホテルの当事者の語りでは,その多様性を示すことも明らかになった。平成13年度では,もう1点,和歌山市郊外の和歌浦を取り上げて,そこに見られる風景観を,雰囲気の点から考察した。報告者はかつて新不老橋建設をめぐる景観裁判を取り上げたことがあるが,その裁判の中で見落としていた点があった。それは雰囲気に関するものである。和歌浦を守る側は,不老橋周辺の和歌浦の雰囲気が,新不老橋の建設で壊されると主張していたのである。しかし,判決は和歌浦を守る側の敗訴となった。報告者は,裁判後の影響を知るため,和歌浦周辺で聞き取り調査を行なった。その結果,和歌山市民は確かに新不老橋のない和歌浦に雰囲気に近い要素である風情を見出しているが,同時に新不老橋の有用性も認めていた。このように雰囲気の問題としては新不老橋は否定されるのであるが,効率性の点では新不老橋は評価,又は,少なくとも止むを得ないものとして受け取られていることが明らかになった。日本とフランス語圏の雰囲気の違いをまとめてみれば,日本では雰囲気は風情として感覚的に捉えられるが,フランス語ではポストモダンの商品として捉えられる傾向が強いと言える。
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