Research Project
Grant-in-Aid for Exploratory Research
韓国愛国啓蒙期の翻訳書を明治期の出版文化との関連で考察するこの研究では、昨年度の韓国愛国啓蒙期の出版事情の調査、明治期の出版事情の調査、韓国語翻訳書のリスト作成とその原本調査及び資料収集、に続いて、本年度は、(1)当時の図書流通状況調査、(2)翻訳の担い手の調査、(3)翻訳書の内容分析、を行った。1.図書流通状況については、書誌学界・出版界の従来までの研究成果調査と、当時の新聞や雑誌記事調査を通じてその実態把握に努めた。中国特に上海からの図書輸入が民間の書店において活発であったこと、日本図書の広告が紙上にしばしばあらわれていたこと、そして在韓日本人の図書出版活動も活発であったことなどが確認できた。2.翻訳書の出版元は、学部編輯局、私立学校、書舗・書局、団体、個人などであり、翻訳はこれらの出版元を中心に行われていた。翻訳者の代表的存在である玄采は学部編輯局で活動したが、彼による翻訳書は個人出版のほうが多い。普成館・徽文館発行のものの多くは、普成専門学校・徽文義塾の教科書として、その教師による翻訳が殆どである。校閲として名があげられている申海永は日本留学経験を持ち普成専門学校長であり、さまざまな図書を翻訳した安国善は早稲田大学で政治学を学んでおり、日本留学生の活躍が目立つ。だが、翻訳者個人に対する研究は未だ充分ではなく、この調査では断片的情報しか収集できなかった。3.柴四朗著『挨及近世史』は麦鼎華の漢訳本から張志淵によって重訳され、平田久纂訳『伊太利建国三傑伝』は梁啓超訳述から申采浩によって重訳されるが、これらは翻訳語彙の流布と同異という点で注目される。また翻訳書においては原書の序や結語が韓国読者へのものに書き直されており、翻訳者の意図がうかがえる。この翻訳書研究によって、併合以前の日韓文化交流の実体究明のための基礎作業の一つができた。また新たな課題も明らかになってきた。日朝修好条規締結後、保護国化、併合に至るまでの間にあったはずの、学術文化交流の担い手の一つとして、留日学生の存在もあるが、むしろ韓国居住日本人の文化的な活動と在韓日本人社会のあり方の究明が急務となる。