Research Abstract |
ドイツでは,1924年2月13日のライヒ扶助義務令(以下RVFと表記)が、社会福祉における私的慈善団体と公的扶助制度の協力関係を法的に規定し,これにより民間福祉・慈善団体の活動が国家によって社会福祉給付システムの中に積極的に位置づけられた.しかし,RVFのこの規定について,我が国ではこれまで十分な関心が払われてこなかった.というのも,RVFについて,(1)社会政策史研究においては,公的給付への権利性の実態如何(「救貧から扶助への転換」の内実)のみが問われ,(2)財政史研究においては,RVFと中央=地方間財政調整問題との関連に焦点が置かれていたからである.本研究は以上のような研究史上の欠落を埋めるべく,1.RVFの政策的意図,2.RVFを巡る国家・都市自治体・民間福祉・慈善団体相互の利害関係とそれを規定する客観的状況,3.最終的な成立段階におけるその推進勢力,以上三点を明らかにし,もってRVFにおける慈善団体関連規定の意義を確定することを究極的な課題とする.本年度は、前年度に現地で収集した資史料収の検討・分析を進め,また空間経済史研究会での中間的報告を踏まえ,次のような見通しを得た.1.政策的意図については,研究史の指摘するとおりライヒ労働省におけるカトリック官僚の主導性が明白であるが,その背景にはとりわけルール占領後のライヒ財政の窮乏という客観的状況が存在した.2.この過程の中でA.ライヒ内務省・ドイツ都市会議と,B.ライヒ労働省および諸々の民間福祉団体との対抗が顕在化し,3.最終的な同政令の成立過程では前者から後者への推進主体の変化が示された.なお以上の検討より,公的扶助の内実や民間福祉実施の具体的形態をめぐる論争が,当該期の中央=地方間財政調整問題と不可分な性格を持っていたことが明らかになり,同扶助義務令をめぐる議論を福祉国家財政の枠組みの中で再検討するための展望を得た.
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