Research Project
Grant-in-Aid for Young Scientists (B)
本研究は、米国ナバホ・インディアン居留地において、女性指導者として尊敬をあつめるミス・ナバホを対象とし、彼女たちの文化社会的役割の通時的変化に照準をあてたシステマティックな調査を行なうことによって、先住民女性の近代的指導者像が創り出されていったプロセスを考察するものである。研究対象期間は、初代ミス・ナバホ・ネイションが選任された1952年から2001年にいたる半世紀である。ミス・コンテストでは、ひとりの女性の身体とパフォーマンスを通して、共同体のモラルやその地域独自の歴史・文化観が示される。ミス・ナバホ・ネイション・ページェントは、1952年に美人コンテストとして始められたが、すぐに「容姿」は選定基準から抜け落ちてゆき、個人の知性や教養、伝統文化への知識を含めたナバホの代表者としての素養が重視されるようになった。当初は西洋的知性と教養、英語能力のみが求められ審査されたが、70年代になると伝統文化への知識が重視されるようになり、高度な技術が必要とされる羊の屠殺・解体が審査基準に加えられた。近年主流社会への同化が進み、この技術を実践できる若者は少数派となっている。それにもかかわらず、ナバホは成員の代表たる女性指導者に西洋的知識のみならず、伝統文化に対する高度な知識と実践を求めたのである。この背景には、社会的に影響力のある若者に難易度の高い伝統技術の実践を求めることによって、ナバホの伝統文化と民族アイデンティティを活性化させようとする政治的思惑が存在する。ナバホ社会が半世紀にわたって創りだした指導者像とは、伝統と近代文化をよく理解し、知性と教養、そして目的意識をもって社会問題に取り組む女性といえよう。ミス・ナバホは、ナバホの幅広い層に対して啓蒙活動を行うとともに、親善大使として各地を訪問して各国、各界の要人と対等に交流している。そして任期終了後、高等教育機関に進み教師や医師といった専門的職業に就いて社会に貢献している。社会・経済的に困難な立場にある先住民にとって、高等教育機関に進む者の割合は極めて少ない。以上より、近代的女性指導者は「ナバホ全体のロール・モデル」という特別な存在として創り出されていったのである。