Research Project
Grant-in-Aid for Exploratory Research
本年度は、この研究の最終年であり、これまで現地調査で入手したデータを整理することに専念した。インカ帝国最後の都ビルカバンバ(エスピリトゥ・パンパ)は、スペイン軍の侵入によって遷都を余儀なくされたインカによって建設された。平成17・18年度に実施した測量によって、この都に存在する神殿・広場・居住地の分布状況が明らかになったが、それがどのような配置規則にもとづいているのかについては十分に検討してこなかった。そこで、これまで作成してきた平面図と立体図を再検討することによって、この都市の景観構造に組み込まれた情報の解読に努めた。その結果、ビルカバンバの主要建築物の一つである「太陽の神殿」について、興味深い事実が明らかになった。ビルカバンバの地図と周囲の景観を検討した結果、この神殿は、「中央広場」から「聖なる山(インカ王の妻と同一視される山)」を望んだ方向に存在することが判明した。さらに、旧都クスコの太陽神殿から見た、冬至の日没方向上にビルカバンバの太陽神殿が存在することも分かった。クスコの太陽神殿は、周囲に300ケ所以上の礼拝所を放射状に配した中心的な存在であったので、ビルカバンバでも太陽神殿が中心的な役割を果たした可能性が高い。太陽はインカ王の祖先に比定される存在であり、太陽の祭りは冬至に実施されたので、冬至の日没方向上に太陽神殿を建設することで、ビルカバンバに遷都したインカは新都の正統性を効果的に演出したと考えられる。このことは、インカ社会において文字は発明されなかったが、特定の情報を組み込んだ景観を形成することによって、情報が物質化されていたことを示す。この物質化によって、そこに組み込まれた情報は繰り返し参照することが可能となった。また、その情報は言語と対応していないため、多言語国家であったインカにおいて情報伝達の媒体として有効な存在として認知されていたと考えられる。
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古代アメリカ学会会報 22
Pages: 1-3