THE CONNECTIONS AND ACCEPTANCE OF JAPANESE MODERNISM IN POSTWAR TAIWANESE ARCHITECTURE
Project/Area Number |
18F18056
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Research Category |
Grant-in-Aid for JSPS Fellows
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Allocation Type | Single-year Grants |
Section | 外国 |
Research Field |
Architectural history/Design
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
田路 貴浩 京都大学, 工学研究科, 教授 (50287885)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
KO SHENG-CHIEH 京都大学, 工学(系)研究科(研究院), 外国人特別研究員
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Project Period (FY) |
2018-04-25 – 2020-03-31
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Project Status |
Completed (Fiscal Year 2019)
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Budget Amount *help |
¥2,200,000 (Direct Cost: ¥2,200,000)
Fiscal Year 2019: ¥1,100,000 (Direct Cost: ¥1,100,000)
Fiscal Year 2018: ¥1,100,000 (Direct Cost: ¥1,100,000)
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Keywords | 台湾 / 日本 / 東アジア / 近代建築 / 戦後 / 丹下健三 / 吉阪隆正 / 林慶豊 |
Outline of Annual Research Achievements |
1)戦後台湾における日本人建築家の活動:吉阪隆正の東海大学設計案について:1952年に行われた台湾東海大学キャンパス案を取り上げ、吉阪隆正の計画案を考察した。吉阪は台湾人建築家林慶豊と当時の吉阪研究室の成員たちと一緒に設計案を計画し、一等賞を受賞した。結果として、吉阪案はI.M.ペイの反対により却下された。しかし、I.M.ペイの「大陸風」の実施案に対し、吉阪の案は台湾の土着性を考慮しながら、ル・コルビジエーの影響を反映したことは戦後台湾建築の発展とは異なるアプローチを提示していたことが考えられる。 2)戦後台湾における丹下健三と吉阪隆正の活動:1952年の台湾東海大学吉阪隆正案と1964年の丹下健三の台北聖心女子高校について、その設計経緯と内容を考察した。結果として、吉阪が丹下も地形を尊重しながらモダニズム建築を提案し、吉阪が「台湾の造形」を強調して丹下が建築と地形の環境を通して「空間」の概念を提示した。戦後初期台湾の大学キャンパスは政府の文化政策によって「大陸風」が求められ、「構成」を強調したことに対し、吉阪と丹下の設計アプローチは「空間」を取り上げたことが重要だと言える。 3)戦後台湾建築史の構築に向けて:戦後台湾建築史の構築について、建築家研究の側面から可能な枠組みを提示した。戦後台湾の社会構成は複雑であり、異なる生活経験と思想を持つ建築家たちはそれぞれの体系を結成し、受動的に一つの共同体になったのが戦後台湾の状況と言える。結論として、戦後台湾建築の対立構図は中国系・連合・官 対 日本系・個人・民 として捉えられます。この構図は単なる戦後台湾の状況を説明するだけでなく、さらに吟味すれば、ル・コルビュジエ系譜とグロピウス系譜の対立構図にも辿り着くことが考えられる。
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Research Progress Status |
令和元年度が最終年度であるため、記入しない。
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Strategy for Future Research Activity |
令和元年度が最終年度であるため、記入しない。
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Report
(2 results)
Research Products
(5 results)