近世フランス都市における記憶の管理と都市エリート:リヨンの都市議事録が語ること
Project/Area Number |
18K01030
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Allocation Type | Multi-year Fund |
Section | 一般 |
Review Section |
Basic Section 03040:History of Europe and America-related
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Research Institution | Kobe University |
Principal Investigator |
小山 啓子 神戸大学, 人文学研究科, 教授 (60380698)
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Project Period (FY) |
2018-04-01 – 2024-03-31
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Project Status |
Granted (Fiscal Year 2022)
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Budget Amount *help |
¥3,900,000 (Direct Cost: ¥3,000,000、Indirect Cost: ¥900,000)
Fiscal Year 2021: ¥780,000 (Direct Cost: ¥600,000、Indirect Cost: ¥180,000)
Fiscal Year 2020: ¥780,000 (Direct Cost: ¥600,000、Indirect Cost: ¥180,000)
Fiscal Year 2019: ¥1,170,000 (Direct Cost: ¥900,000、Indirect Cost: ¥270,000)
Fiscal Year 2018: ¥1,170,000 (Direct Cost: ¥900,000、Indirect Cost: ¥270,000)
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Keywords | 文書 / 書記 / 秘書 / 国務卿 / 宮廷 / 外交 / ルネサンス / 近世フランス史 / リヨン / 外国人 / 同郷団 / フィレンツェ人 / 結社 / 祝祭 / 恩赦 / 都市 / 交渉 / 治安維持 / 16世紀フランス / 移民 / 都市空間 / 帰化状 / 都市議事録 / 都市エリート / 記憶 / 危機管理 |
Outline of Annual Research Achievements |
本年度は16世紀前半における文書を司る書記の台頭について分析を行った。「近代国家の生成」という枠組みにおいては、行政の中枢に位置付けられた書記官=国家秘書は、これまでは官僚化のモデルとして理解され、技術的なスキルを持ち、階層と規律に服し、給与を得て仕事を行う公務員を想起させてきた。1547年に創設された国務卿が内閣の起源と位置付けられてきたのも、国王の決定事項を具現化する役職者集団と見なされてきたからである。しかし、この時期に固有の書記の役割やその独自性は具体的に明らかにされていない。 君主の家政と領域の行政機能とが合流する宮廷では、国王の寵愛と信頼を起点とした保護・被保護関係が構築され、国家の重要な職務や名誉、年金といったものが君主の近くにいることで直接的・間接的に得られた。その中で、公私にわたって国王の側近くに仕え、活躍の場を広げて急成長したのが書記という存在であった。王状の起草を秘書に命じ、それを作成して国王に署名させるのは大法官の役割であったが、仕事の効率化がはかられる中、秘書自身が直接国王のもとに命令を受けに行くようになると、次第に国王は大法官を介さずに、財務担当秘書という実務家集団を自らの手足として利用するようになる。イタリア戦争期にこうした実務家集団の台頭が顕著に見られた。 今年度はまず書記=秘書たちがどのような出自の者たちで、どのような経歴の持ち主であったのか、そして実際にどのような場で活躍したのかを明らかにした。彼らは国務会議の常連であったのみならず、国王のナポリ遠征や戦争にも付き従い、外交交渉に関わる重要な派遣状の作成を担当している。外交実務へも関与した経緯については、外交交渉における書簡作成の重要性と大きく関係しているのである。これらの成果に関しては、『岩波講座 世界歴史15 主権国家と革命 15-18世紀』の「ルネサンス期の国家と文化」にて発表した。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
今年度はこれまで具体的に解明されることのなかった、16世紀前半の宮廷の書記=秘書について、特に活躍が目立ち、史料的にも多くのことが明らかにされ得る人物に焦点を絞って分析を進めた。たとえばシャルル8世、ルイ12世、フランソワ1世の治世下において財務担当秘書を務めたフロリモン・ロベルテやギヨーム・ブリソネといった書記たちを取り上げて、この時期に国王の側近として実務を司った者たちの出自、キャリア、実務の内容を分析した。 モンブリゾンのブルジョワを祖とするロベルテ家に生まれたフロリモンは、まず当主ブルボン公に仕え、その後国王の財務担当秘書、そしてフランスの財務長官となった。彼はさらにジョルジュ・ダンボワーズ枢機卿の庇護も得て、ルイ12世登位後は枢機卿会議にも同席し、国王の寵臣として国務会議の評定官になった。イタリア戦争に際しては外交文書の作成も手掛けている。ルイ12世はヴェネツィア大使にほぼ毎日手紙を認めていたというが、フロリモンのような寵臣たちの日常的な仕事はこうした外交文書の作成であり、大使に与える派遣状や指示、あるいは条約の起草などであった。そして彼らは単に文書を執筆するだけでなく、政策決定自体に大きく関わっていくのである。 商人から財務担当秘書を経て、ラングドックの財務長官に至ったギヨーム・ブリソネも同様である。ブリソネもまた3人の国王の側近であったと同時にサン=マロの司教であり、枢機卿となって、教皇ユリウス2世に対抗するルイ12世を支援するという並外れた経歴を持つ。この経歴の多さ、複雑さこそこの職に就いた者の特徴ともいえる。こうした寵臣たちが国王との親交や信頼関係に基づいて出世したことは、貴族位と奉仕の関係を再定義しようとするアンリ3世の試みへとつながっていく。つまり近世の国王は次第に、身分の高さよりも誠実な奉仕の方を自身の統治に有効なものとして選び取っていくのである。
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Strategy for Future Research Activity |
今後は16世紀中葉および後半の書記と国務卿に関する史料を調査し、両者の関係性と変化に注目する。その目的は、官僚的な機能の発展と、上司との密接なつながりや個人的な縁故関係によって特徴づけられる王国行政との間に見受けられる、この時期に固有な行政のあり方を明らかにすることにある。 1547年に国務卿が設置されると、より広範囲になる書記=秘書官の職務をサポートするための行政が展開されるようになった。近世初期の書記たちは、大貴族のような特別な影響力を持つ人物でもなければ、ささやかな筆耕にとどまる単なる筆耕者でもなかった。しかし他方で、国王を取り巻くこうした日常的な人びとが、16世紀の王政の構造の変化とそれに仕えた官吏たちについて多くのことを明らかにすると思われる。それは、ルネサンス期における行政機構の複雑化と官職保有者の増加という動きの中で、書記たちは外交や大法官府、宮内府が携わる書類の増加によって、ますます多くの仕事を課せられたからである。書記たちは長期的なプロセスで見た時の行政の発展と、対人関係や家族関係に基づく王国統治の維持という、近世という時代の両義性をも体現したのである。 地方出身の書記たちは宮廷で出世すると、その後出身地に戻ることによって、宮廷と地方の間の関係を維持する有益な中継役としても活躍した。王権も頼みとしたこうした側面に関しては、今はまだ断片的なことしか判明していないが、今後より具体的な事例を積み重ねて実証する必要がある。また、書記は君主自身や宮廷の有力な後援者に仕えることでさらに出世することもできた。書記という地位は、個人とその子孫が王権の統治機構においてより高い地位に到達することを可能にし、土地と文化の獲得によって身分的可能性にも開かれていくのである。
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Report
(5 results)
Research Products
(13 results)