Project/Area Number |
19F19005
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Research Category |
Grant-in-Aid for JSPS Fellows
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Allocation Type | Single-year Grants |
Section | 外国 |
Review Section |
Basic Section 02010:Japanese literature-related
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Research Institution | Doshisha University |
Principal Investigator |
冨山 一郎 同志社大学, グローバル・スタディーズ研究科, 教授 (50192662)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
SIM JEONGMYOUNG 同志社大学, グローバル・スタディーズ研究科, 外国人特別研究員
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Project Period (FY) |
2019-04-25 – 2021-03-31
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Project Status |
Discontinued (Fiscal Year 2020)
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Budget Amount *help |
¥1,600,000 (Direct Cost: ¥1,600,000)
Fiscal Year 2020: ¥800,000 (Direct Cost: ¥800,000)
Fiscal Year 2019: ¥800,000 (Direct Cost: ¥800,000)
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Keywords | 記憶 / 災害 / 原爆 / 暴力 / 戦争 / 空襲 / 哀悼 / 記念 |
Outline of Research at the Start |
本研究は、原爆やホロコーストのような悲惨な出来事に関わる経験がいかなる物語として継承されるのかについて検討する比較文学的研究である。その含意するところを述べる。第一に、哀悼という問題である。圧倒的死者たちをいかに弔うのかという問いが文学的ナラティブにおいて抱え込まれている。そこには弔いに関わる民俗学的アプローチも含まれている。第二に集団性という問題である。経験は個人のナラティブとして登場するのではない。証言や記録においてそこには、集団的な営為が存在する。いいかえれば経験が集団性を構成していくのである。ここに運動としての経験の言語化という問題があるだろう。この二つの点に注目して研究を進める
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Outline of Annual Research Achievements |
本研究では、過去の戦争の記憶を共有し、偏在する暴力やいつ到来するともしれない災害にともに向き合い、その死者たちをしっかり哀悼する道を探るという学問的な問いのもと、原爆・空襲など第二次世界大戦にかかわる記憶が体験記録や文学作品にいかに表象されているかを分析する。生半可な共有を拒絶するものとして語られて来た「原爆」の経験をいかに世界の中にいる「私たち」のものとして引き受けうるかについて考えるために、原爆だけではなく、ホロコーストや集団収容所、植民地の経験、様々な災害などにおける記念・追悼の実例に基づき、それらの出来事がいかに関係付けられ、いかなる物語として語れているかを具体的見ていく。また、暴力の記憶をめぐる様々な議論とそれぞれの出来事に対する記念・追悼の歴史およびその実際の蓄積を参考に、災害や戦争における大量死に対する記念・追悼をナショナルなものとして囲い込むのではなく、いかに分有できるかについて模索した。具体的には、記憶にかかわる世界的に蓄積された議論をより幅広く参照するだけでなく、沖縄戦、空襲、原爆、ベトナム戦争など、戦争を題材にした理論と文学作品を体系的に分析していく。それらの研究の一環として、ホロコーストに関わる記憶研究を幅広く参考にし、とりわけ原爆を世界史的な暴力の文脈において文学化した小田実の『HIROSHIMA』を分析する報告をしたうえ、それを書き直した論文を発表している。そのほかにも、沖縄文学作品および沖縄戦や復帰に関わる文章を翻訳、紹介している。
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Research Progress Status |
令和2年度が最終年度であるため、記入しない。
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Strategy for Future Research Activity |
令和2年度が最終年度であるため、記入しない。
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